僕の願いを無視して太陽が顔を出す。
今日から日曜日までの時間。

僕にとって、若林君にとっての
最後の時間が始まる。
砂時計の砂のように、さらさら、
サラサラと時間は時を刻んで行って、
逆さにして止めようとしても
僕の手は決して届かない。

朝、いつもと同じようにシャワーを浴びて
歯を磨いて服を着る。
ココまではいつもと同じ。
コーヒーを飲んで朝ごはんのパンを食べて
お皿を流しに入れてから
ベットを整えてカバンを掴む。
ココまでもいつもと同じ。
僕の手が、玄関のノブを掴む。

途端に電流が走った。
このドアを開けたら、開けたらきっと始まっていく。
僕がさよならを告げるまでの数日間。
若林君を失うまでの数十時間・・・
二人で笑い合える、最後の時間。

(行かなくちゃ)
下唇を噛み締めた。
(行かなくちゃ)
ノブを掴んでる手が震えだす。
(外に行くのが怖い)
時間が僕を捉えるのが早まりそうで・・・
(ドアを開けるのが怖い)
足がすくんで前に出せない。

今日と言う日が来るのが怖い。
ドアを開けて部屋を出たら
今日と言う現実が僕を襲うよ。

若林君・・・

若林君が僕の頭の中で静かに笑う。

いつか若林君が言った。
『岬といる時間が俺の中で本物で、
 それ以外の時間は俺の中では準備期間なんだ』
今の僕はそれとは逆に
若林君と会える時間が準備期間。
今思うのは自由だけど、いったん走り始めたら
時間の流れは止められない。
だけど・・・始めなくちゃ。
始めなくちゃ、終わりが来ないよ・・・

大丈夫。
僕、ずっと一人だったよね。
サッカーしている以外、僕は一人ぽっちで
今までだって自分一人で生きてきたのに
一人では歩いて行けない事を知った途端に
急に足がすくんだって言ったって
それはただの言い訳に過ぎないから。
失うのは辛いけど、
それは元に戻るだけだから。
無いものを求めて泣いていたよりも
有るものを失う方が辛いだけだよ。
あると知らなかったら・・・
きっときっと、日常は変わらないから。

ごくん、と唾を飲み込んで
大きく息を吸い込む。
若林君の笑顔にフィルターをかけた。

ほら、今はそれも思い出にきっと出来るから・・・
僕の心臓、納まって・・・
きっときっと僕は大丈夫だから・・・

じっとドアに手をかけたまま、
静かに目を閉じる。
色々な想いが僕の頭を駆け巡って
心を散々に乱して行く。
でも・・・僕がココで悩んでいても
学校は始業のベルが鳴って、
就業のベルが鳴って、
友達は笑い合って、
先生はベンキョウを教えていて、
僕は夕方、家に帰って
若林君と会うから。
どんなに僕が時間の流れを止めようとしても
僕の手のひらをすり抜けて
時間は流れて行ってしまうから・・・

少し心が落ち着いてから
そっとドアを開ける。
そこには悪魔も誰もいなくて、
ガランとした廊下が広がる。

(大丈夫、僕、ちゃんと出来るよね?)

大きく息を吸って
自分の足で外に踏み出した。

(大丈夫、僕、ちゃんと出来るよ)

今日と言う一日が、今始まった。



『岬、聞こえてるか?』
誰かが遠くで僕を呼んでいる。
(あと、4時間・・・)
『岬、大丈夫か?』

ぼんやり目を開けて前を見る。
心配げな先生の顔が目に入った。
『え・・・?』
突然、目の前に色彩が飛び込む。
『岬、次、読んで・・・って言ったんだけど?』
(あ・・・)
ボンヤリして、何にも耳に入ってなかった。
『あ・・ごめんなさい・・・』
心配そうに先生が僕の顔を覗き込む。
『岬、最近ボーっとしてる事が多いな』
恥ずかしくて俯いたまま小さく答えた。
『ご・・ごめんなさい・・・』
この2.3日、頭に何も残ってなくて
ただ、ただ若林君の事を考えてた。
『岬、お前、今日もう、帰っていいぞ』
『え・・・?』
言葉の意味が分からない僕に先生が畳み掛ける。
『岬、顔色も悪いし、帰っていいぞ・・・』

先生、僕ね、今までずっと
無遅刻、無欠席で来ていて
早退なんてした事ないんです・・・

そんな僕の心とは反対に言葉が浮かぶ。
『僕・・・帰ります・・・』

(うわあ!)
通りを歩く道すがら、僕の心臓が激しく脈打つ。
(僕、早退なんて生まれて初めて・・・)
いつもより明るい陽の下で
僕の知らなかった町並みが展開する。
信号待ちで足が止まった。

(僕、やろうと思えばきっと何でも出来るよ)
優しい風が頬をくすぐる。
(どんな事も・・・若林君の事も)
信号が変わって一歩一歩踏み出す度に
ちょっと心が強くなった気がした。

せめて日曜日までは笑顔でいよう・・・



もうすぐ6時半。
ご飯の支度も終わって
窓に手をかけて外を見る。

(もう、会えなくてもいい)
そんな心の呟きが聞こえたかの様に
TAXIが通りに滑り込んで止まる。

『若林君・・・』
たまらなくなって窓枠をしっかり握る。

肩から大きなバッグをしょって
その見慣れた姿が降り立った。
車のドアが閉まって、彼の手が帽子の位置を直す。
一瞬、僕の家を見上げてから
辺りを軽く見渡して、足早に視界から消えた。

とうとう、二人の時間が始まっちゃうよ。
この時が来ないようにって
何度も何度も神様にお願いしたのに・・・

静かなアパートに若林君の足音が響く。
(来ないで・・・)
その小さな足音がだんだん大きくなっていく。
(来ないで・・・)

最後の時が始まっちゃうよ・・・



玄関のブザーが鳴った。



『岬・・・』
あいてるよ、と声をかけられて
俺が部屋に入ると、ちょっと神妙なヤツが立ってた。
『元気???』
全てを言い終わらないウチに
ヤツが俺の腕に飛び込んでギュッと抱きつく。
(お?熱烈歓迎???)
俺もヤツに腕を回してその香りを大きく吸い込んだ。
『久しぶり』
いつもはこんな玄関先で抱擁なんてしないから
ちょっと戸惑ったけど、俺に回す手の力に、
なんか小さな胸騒ぎがした。
『岬、どうした?』
まず手の力が緩んで、小さく頭を振ってから
岬がゆっくり俺を見上げる。
『会いたかった・・・』
ポツン、と呟く岬がいつもより小さく見えて
今度は俺がヤツを抱きしめる。

いつもなら手を洗えとか
まず荷物を置けとか口うるさく言うのに。

体を離してその頬にKISS。
『俺も・・・』
岬が安心した様に笑って俺の手を引く。
『ご飯出来てるから、まず手、洗ってね』
良かった、いつもの岬かな?
でも、なんだかちょっと元気無い。


『岬、お代わり!』
俺が差し出した茶碗を持って岬が席を立つ。
目の前に並ぶ、久しぶりの日本食に
俺の胃袋が予想以上に反応して、ガツガツかきこむ。
『良く噛んでる?』
笑いながら目の前に茶碗を置いた。
『うん・・・だって旨いんだもん』
モゴモゴ喋る俺をニコニコしながら見下ろす。
岬の飯が旨いのって、きっとコツがあるんだよ。
今の俺にとって、誰にも真似できない
コイツだけが出来る事。
『なあ、コレって俺の事考えながら作ってくれてんの?』
岬がキョトンと俺を見返す。
『当たり前だよ』
岬にとっては当たり前の事が
俺にとってはどんなに嬉しいかなんて
きっと岬にはわからない。
岬の不思議そうな顔を見て胸が熱くなった。
岬が男でも女でもそんな事はどうでもいい。
ただ、目の前の岬が岬でいてくれたら。
俺の人生で只一つ我侭を言えるなら
コイツが一生、俺の側にいてくれますように・・・


『スッゲー旨かった!ご馳走様』
お腹一杯で苦しい俺に笑いかけて
岬が空いた皿を片付け始める。
『デザート食べる?』
『いや、今はいいや』
うん、とうなづいて台所に消えていく。
俺も残りの皿を持って後に続く。
『座ってていいよ?』
『俺も洗う。岬、ゆすいでな』
二人で並んで台所に立った。
俺が洗剤で洗って、岬に渡す。
岬が蛇口の下で皿をゆすいだ。
『な、流れ作業の方が早いだろ?』
『うん』
そう言いつつ俺の肩に頭をつける。
『ありがとう』
(なんか岬・・・珍しく甘えてる???)
『ばーか!』
スッゲー心地いい、二人の時間。

腹ごなしに街をブラブラ歩いた。
岬が最近お気に入りと言う店々。
岬を見かけて笑顔で話すパン屋のおばさん。
ちょっとアンティークがかった本屋。
角に立つ、小さな教会。
『中には入った事ないけど、気に入ってるんだ』
『開いてるかな?入ろうぜ』
俺が岬の腕を引っ張って、ドアを押してみる。
ドアはびくともしなかった。
『残念・・・』
俺が岬を振り返ると
今にも泣き出しそうな顔をした岬がいた。



やっぱりな・・・

いつも通り縋る教会で前を通る度、
僕は心の中でお願いしてた。

僕はキリスト教ではないけれど
もし、もし神様がいるなら、
どうかお願い、聞いて下さい。
若林君とサヨナラするなんて事、
実は夢だった・・・って、
そう言う現実を下さい。
そうしたら僕、今まで以上に
色んな事を我慢するし、
どんな事でも受け入れます。
だけど、だけど・・・
若林君だけは僕から奪わないで・・・

でも、教会のドアは開かなくて
僕のお願いが通じてないって思った。
あくまでも現実は現実で
それは神様も変えられなかったって。

『帰ろ・・・』

無理やり笑顔を作るけど、
僕の落胆した顔、見られちゃったかな?

隣に歩く若林君からちょっと遅れ気味に歩く。
こうやってまた歩く事が出来ないなら
この道を歩く度に思い出せる様に
心に焼き付けておこう。
週末があけて一人で歩く時に
若林君を思い出せる様に。
情景に溶け込んで、心の引き出しにしまっておこう。
だから家の周りを一緒に歩いた。
次から一人で歩いても寂しく無い様に・・・



若林君が腕枕をしてくれて、
僕等は眠りの淵に立つ。
しばらくじっとしてる内、
若林君の規則正しい呼吸が大きくゆっくりに変わった。
(疲れてるよね・・・)
今日だってきっと急いで来てくれたんだもん。
横を向いてた彼の体がコロンと転がった。
体を離して、パジャマを着る。
そのまま座ってじっと見下ろした。

薄暗い月明かりが若林君の髪をなぞる。
秀でたおでこを、黒い眉毛をくだって
今は閉じている瞼を、睫を、鼻を、唇を
とがった顎先まで月明かりがゆっくりなぞる。

これからきっと大きくなって
若林君も今よりマスマス逞しくなってく。
でも、僕に触れていた今≠フ若林君を
よく目に焼き付けておこう。
悲しいより、優しい気持ちになった。
僕と一緒に居た事、若林君もいつか
思い出してくれるかな・・・
目の前に居る人と過ごせる時間。
無くならないで、とお願いするよりも
悲しい、と泣くよりも
目の前の若林君を見つめていたかった。
若林君の笑顔、
若林君の声、
隣で一緒に歩いた事、
僕に触れる大きな手、
会えなくてお互いを考える時間、
一緒に居るだけで心が落ち着いて
暖かくなる事、
全部、全部、今しか触れられないから・・・

心がカラッポになって
ずっと寝顔を見つめてた。
数分?数時間??
時間の感覚が無くなって
只、そこには僕と、
若林君だけが居た。

『み・・さき?どおした?』
気が付くと若林君がちょっと身を起こす。
あ、起こしちゃったのかな?
『ううん・・・怖い・・夢見たから』
慌てて僕が答えた。

眠たげな声で僕に言う。
『岬、こっちおいで』
誘われるままに、若林君の隣に滑り込む。
太い腕に頭をつけると、
僕の頭にKISSをした。
『もう、大丈夫だから・・な・・岬・・』
大きな手で僕の頭を優しく撫でる。
『もう怖くないから、大丈夫だよ・・・』
僕を守るように抱え込んで
頭を撫でてた手が止まって
暫くするとまた寝息が聞こえて来た。


若林君の胸に顔をつけて、
泣くのを必死に堪えてた。
この大きな腕の中、
若林君の匂い、
聞こえる息遣い、
僕の唇に残るKISSの感触。

僕の周りは若林君で一杯だった。

すごく、すごく、幸せな気持ち。
彼の心臓の鼓動まで感じる。

こんなに近くにいて、
こんなに触れ合ってるのに・・・
もう、遠い人になっちゃうんだね。

視覚も聴覚も触覚も嗅覚も味覚も
心の中まで全て若林君で一杯なのに
こんなに近くに居ること、
もう、出来ないんだね・・・

このまま若林君に溶け込んで
消えて無くなっちゃいたい・・・
このまま若林君で一杯のまま、
どこかに行けるなら。



大好きだからね、
僕の全部、あげてもいい。
大好きだから、ね。
それだけは、ずっとずっと
覚えていて・・・

覚えててね・・・
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