六月の半ば、降りしきる雨を横目で睨んだ。
梅雨がやって来て、日本に恵みの雨を降らす。

その日は特に洗濯物が多かった。
先日まで父さんが帰ってたのと、
雨だから・・・と洗濯を延ばしてたから。
週末は晴れって・・・
天気予報の嘘つき!

『ついてないなぁ・・・』
一人ごちながら家中に張ったヒモに
洗濯物をかける。

『どおしよう・・・』
どんなに詰めてもかかりきらない洗濯物・・・

『父さん、ちょっとだけ・・・』
僕は父さんの部屋に入っていった。
そこは今までの絵が沢山置いてあって、
本当は湿度とか、特に気をつけなくちゃ
いけないけど、この状況だから・・・と
僕は掛けれる所に洗濯物を掛けて行った。

『終わり・・・あっ!』
僕の足が絵の山にあたって、
埃を巻き上げながら幾枚もの絵が滑り落ちる。
『ついてないや・・・』
散らばった絵を丁寧に拾い上げる。

一枚の絵が僕の心を掴んだ。

『これ・・・』

一枚の、情景画。
咲き乱れる紫陽花の、鮮やかな青。

『懐かしい・・・』



その日、六月も遅く、小学生の
僕は一人で家に居た。
父さんはこの町のどこかで絵を描いてる。
一人帰ったアパートの部屋で、
今日の出来事が蘇る。

『僕の家の近くにトンネルがあるんだ・・』

夏も近いので、サッカーの後の帰り道、
なんとなしに怪談話が持ち上がった。
同じクラスの田中君が会談話を始める。
『オバケトンネルって有名なんだけど
 先月も事件があって・・・』

真実かどうかは眉唾だけど、
田中君の知り合いが車で遊びに行って
オバケトンネルで行方不明になった話。
今も立て看板で所在を探してるって・・・

車の床から手が伸びて、
田中君の知り合いの足首掴んでた・・・
車はそのままなのに、彼の姿だけ、
消えていた・・・って。

ブルブルブル・・・
想像したら、今居る台所の床から
手が生えてきそうな錯覚に陥る。

(大丈夫、ホントじゃないから・・・)
でも、床から手が伸びる想像が止まらない。
心なしか空気もひんやり僕を包む。
そんなんなって引き摺りこまれたらどうしよう。

こわいよ・・・

途端に怖くなって、僕の手がエプロンをはがす。
かかってる上着に手をのばして、
僕は夕闇迫る、雨の町に飛び出した。


河原から橋を渡って大きな公園に急いだ。
(確か父さん、この公園行くって・・・)
外灯がちらほら点き始め、
絹の様な細かい雨が僕の頬を濡らして行く。
フードを目深に引きおろして、
公園の中をさまよい歩いた。

辺りが暗くなってきて、
僕はさすがに心細くなった。
『父さん・・・』
ちょっと大き目の声で呼ぶけど、
僕の声は闇に吸い込まれる。
『父さん!』

何度か呼びかける内、聞きなれた声が
不思議そうに返ってきた。

『太郎???』

僕の足が声の方向に向かって駆け出した。
少し先に東屋の屋根が見える。

『父さん・・・』

白い外灯に照らされて、東屋に続く
小道が明るく照らされた。
緑の垣根に、重なる様に咲き誇る
紫陽花の青が眩しくて、僕の足が止まる。

(なんて綺麗・・・)

小雨が優しい霧に変わって
花びら一つ一つをそっと揺すり、
小さな雫が地に落ちる。
まだ七分咲きの花芯に光る雨が溜まる。

梅雨って大嫌いだった。
大好きなサッカーも、雨が降ると出来なくて
外で遊べないし、父さんを待って
家に一人でいる時間も増えるから。
でも、
この紫陽花の垣根を見て、
花々が露に濡れるのを見て、
その青が余りにも華々しくて
僕を釘付けにする。

『太郎、こっちおいで』

暫く僕は父さんの事も忘れて
その場に立ち尽くしてた。
父さんの声で我に返ると
東屋に向かって再び歩を進める。

『どおしたんだ?』

父さんは東屋の屋根の下で
帰る支度の途中だったみたい。

『紫陽花があんまり綺麗で・・・』

屋根の下で、僕は傘をたたむと
体についた露を払った。

『もうすぐ満開なんだね』
『ワシももう帰ろうと思ってたんだが
 お前が来るなんて思わんかった』

思い出した。
怪談話で怖くなって飛び出したなんて・・・
恥ずかしくて言えないよ。

『うん、たまには・・・』

父さんの支度が終わるのを待って
僕等は並んで家路に向かう。
今度は怖くない。
だって父さんが一緒だもん。

『あの満開の紫陽花を描こうと思ってな』

うん、すごくいい。
父さんの手であの青が蘇るのを
僕もすごく嬉しく思った。

何日かして、父さんの絵も出来上がる。
『太郎、これ、どうかな・・・』
父さんの手から一枚の絵が渡された。

清らかに咲き誇る、紫陽花の花々。
瑞々しくのびのびと風に揺れている。
そしてあの、引き込まれそうな位鮮烈な
青い羅列が僕の目を引いた。

『あれ、父さん、これって・・・』
一瞬言葉を飲み込んだ。
紫陽花の垣根の中に、傘をさした
小さな人物が描かれてる。
『これって・・・僕?』

滅多に人物なんて描かないのに。
紛れも無い、あの日の僕がそこに居た。

『太郎があんまりにもうまく情景に溶けてたから』

なんか胸が熱くなる。
父さんが僕をその崇高な世界に描いてくれた事。

僕にとっては、最高の一枚だった。




ずっと今まで僕は疑いも無しに父さんと居る。
色んな町で暮らしながらも、
父さんと一緒って基本があるから、
僕は笑顔でサッカーをして
色んな友達にあって、
自分を見つけて来た。

お母さんの事も、
僕が一緒に居ることも、
きっと父さんの中では沢山、
きっと沢山の思いがあるはずなのに
一言も言わずにキャンバスにぶつけて来た。
それが、岬 一郎って人間だから。

父さんの本当の気持ちなんて
僕が思ってる程、浅くないかも知れない。
僕と一緒に居ることも何も言わないけれど
大事に思ってくれてるのかも知れない。
口に出して言えないから、
父さんの心が表れないからこそ、
僕は一緒に居るのを選んだんだ。

目には見えない、信頼の糸。
家族だからじゃなくて、
僕と、父さんだからこそ、
お互いに大事に思ってるんだよね。

この絵の紫陽花の青さに表れる、
この絵に描かれた僕が象徴する、
父さんの精一杯の優しさ。

ちょっと胸熱くして考える。
僕・・・
父さんと一緒に居れて、良かった。
父さんが僕の父さんで、良かった。
僕ってきっと幸せなんだ。

父さんの絵が売れるまで
ううん、売れてからもそんなに言うほど
裕福な暮らしはしてないけど、
だからこそ、僕達親子はしっかり結びついて
きっと他の何処の家族にも負けないくらい、
固く信頼し合ってるんだよね。

あの日の雨を思い出す。
公園からの帰り道、
並んで歩いた街頭の下。
僕と父さんの特別な時間。

父さんの大きな背中を見て僕は安心する。
台所の床からは二度と手が伸びて来なかった。



不意に電話が鳴り出した。
我に返って、慌てて絵を積み直す。
『もしもし・・・』
『太郎』
『父さん、どおしたの?』

以心伝心、父さんもなんとなく分かったのかな?
僕が父さんの事、考えてたの。

『じゃあ、明日帰るから』
『うん、気をつけてね』

電話を切って暫くしてまた電話が鳴った。
(何?父さん何か言い忘れかな?)

受話器の向こうから微かなノイズが聞こえて来る。
『岬・・・』
『若林君・・・』
途端に僕の心臓が高鳴って
嬉しさでうまく言葉が出てこない。

取り留めの無い話が続いて
父さんの話になった。

『岬とオヤジさん、仲いいよな』

違うよ、僕、気が付いたんだ。

『だって二人しか居ない家族だもん』

若林君のこと、僕はきっと
家族みたいに思ってるんだ。
父さんと同じ。
だからとても大切で、
かけがえが無くて、
僕の傍にいて欲しいんだ。
もちろん、父さんとは立場が違うけど・・・

急に若林君が言い出す。
『岬、なんか今日いい事あっただろ』
若林君にも隠し事は出来ないみたい。
なんでも分かっちゃうんだ。
『あのね・・・』




僕の口からあのキャンバスの青が蘇った。





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