わらちこどんども 花折りにゆかんか

何花折りに 牡丹 芍薬 菊の花折りに

一本折っては 腰にさし 二本折っては 笠にさし

三本目に 日が暮れて あっちの小屋に 泊ろうか

こっちの小屋に泊ろうか

あっちの小屋は 煤掃きで こっちの小屋は餅かちで

中の小屋に 泊まったら 筵はしこて 夜が長て

あした起きて 天見たら 足駄はいて 棒ついて

雛のような 姫様が 参れ参れと 仰有れど

肴が無うて 参られん あなたの肴は 何肴

大鮒三つに 鯉三つ ジョロジョロ川の鮎三つ









人里離れた山の奥、緑深き谷の外れに建つ
その大きなお屋敷の外れから
今日も澄んだ歌声がかすかに響く。
その古い手鞠歌が時を淡く刻んで行く。


村の人々が天女の歌声と噂するが
その姿を見たものは誰もおらず
聞こえるのはホンのたまに、
お天とう様がご機嫌に
下界を照らす午後のみであった。











緑深い山々一帯に囲まれた
その大きなお屋敷の奥に男が歩を進める。
築世数十年経つその廊下がミシミシと音を立てて
男を更に奥へ奥へと導いて行く。



里に続く干からびたデコボコ道より
はるか奥まったその小さな離れ屋に
男が辿り着いて古びた襖を静かに開けた。






『岬、今戻ったぞ』





『兄者・・・』

岬と呼ばれた少年の足元に
手毬が転がり弾んで、草むらに消えて行く。







里に降り注ぐ天女の歌声が



また・・・止んだ。































一人の青年が表で何度も何度も腕に巻いた時計を眺める。
この日、彼は家族との食事の為に我が学び舎まで迎えを来させていた。

まもなく黒塗りのセダンが音もなく滑り込む。


『遅かったな、坪田』
『申し訳御座いませんお坊ちゃま』

その白い手袋で恭しく頭を下げ、重い鐵鋼のドアが閉まる。
執事の坪田が銀座に向けて静かにアクセルを踏み込んだ。




昭和も20年代に終焉を向かえ、
戦後の復興も目覚しさと共に
日本経済も高度成長している時代であった。


その青年、若林源三は甲信越財界の一巨頭、
若林財閥の三男として生まれついた。
源三の曽祖父が明治二十五年ごろ、
その身を生糸の工場に身を置いた事から
若林家の歴史が始まって行く。

日露両戦争、第一次世界大戦の最中、
日本が国力を増すと相まって
若林製糸工場も日本一流の企業にのし上がった。

源三は東京支社を一手に取り仕切る父親の元で、
三人目、遅い息子として生まれつき
父親が懇意にしている総長の計らいで
今は東京帝国大學に籍を置く身である。
兄達はそれぞれ独立し、既に企業の歯車として
地方にて多忙な日々を送っていた。

源三自身もその頭のキレの良さから
周囲より次期総長として、東京支社での
父親の後を継ぐ者として、一目置かれている。
世間一般の俗世から眺めれば、
何不自由なく暮らすただの若造にしか思われず
彼自身もまた何の不自由も無い暮らしに満足と安住、
自分の行く末に安堵よりは期待、
期待よりは憂鬱、憂鬱よりは幻滅すら覚えていた。


『今日はお爺様の三周忌よ』

母親が優雅な姿でテーブルにつく。
甲信越で端を欲した若林家であるが
今やその袖を全国に伸ばし、親戚が、いや
全支社に分布する親族一同が集まって
今は亡き創立者である曽祖父を悼みに来た。

『(俺の曾爺さん)』

若林青年の心に呟きが落ちる。
実際、殆ど口も聞いた事がないのだ。
そんな彼の思いを乗せて、死者を悼む会は続いて行った。



























『疲れた』


坪田が運転する車中で呟く。
『お疲れ様で御座いました』

長年一緒にいる執事はサラっと受け流した。



『(思っても無いクセに)』
思わず笑みがこぼれ落ちて、安らぎの時間が訪れる。

『父さんも母さんも元気だった』
何と無しに話しかけて、自分が何も感じていないのに気が付いた。


『(父さんと、母さんか・・・・)』


車が東京の街を滑るように走り、窓の外の喧騒を、
ライトアップされた夜景が美しく視界を彩って行く。



『明日からはお休みで御座います、どうぞごゆっくり・・・』

車回しに寄せてから、坪田が恭しく扉を開けた。
世田谷の自宅邸宅は大正時代にある子爵が建築し、
曾祖父が譲り受けた物と聞いている。
レンガ造りのフランス積み、天然スレート葺きの屋根、
天井は半円筒型ヴォールトン状で白い漆喰に囲まれ、
広大な敷地の中に聳えるその邸宅も、
2人の兄の独立と共に自分独りの塒と化して行った。


『(誰も待つ事もない家)』



常駐しているメイドがドアを開け、
俺はリビングの電気を付けた。
ステンドグラスの明かりが
優しく、優しく周囲を包む。
俺が一番ホッとする時間だった。
































『兄者?』


長い夏休みに向け戻った兄の側を
片時も離れようとしない岬。

そんな子供らしい仕草につられて笑い出す。
書きかけの手紙より顔をあげて優しく告げる。

『コレが済んだら一緒に外を歩こう』



岬の顔が一瞬にして輝き、コクンとうなづく。
色あせた縁側に座って、また手鞠歌をなぞり出した。





ひい ふう みい よ

四方の景色を 春とながめて 梅に鶯

ホホンホケキョと さァえずる

明日は祇園の二軒茶屋で

琴や三味線 囃しテンテン  手毬唄

歌の中山 ちょごン  ごンごん

ちょろく  六六 ちょひち  七七

ちょ八はち  八八 ちょく が 九十で

ちょっと百ついた ひい  ふう  みい  よ ・・・














その済んだ歌声が山々を貫いて
里に優しく響き渡って行った。




























夏休みが数日過ぎ、俺は退屈な毎日の中に居た。


『お坊ちゃま、ご学友では?』
坪田が差し出した白い封筒。
ちょっと草臥れた風情漂う表面に小さく俺の名が記してある。


『誰だ?』
半熟に茹でられた卵を口に運びながら訪ねてみる。

『三杉・・・三杉様よりのお手紙で御座います』




朝食を終え、一人になるために書斎に入った。
子爵様の時代よりソコに鎮座ましましてる机に
どっかり腰を降ろしてから封筒を眺める。






『(三杉か・・・)』


三杉 淳。
東京帝国大學で同じ専攻を学ぶ、もの静かな男。
本来であれば自分より3つも年が上だが
心臓の疾患とやらで同じ学年になった秀才。



『(学友?)』

思わず口元に皮肉な笑みが浮かぶ。
居並ぶ同級生の中で、俺は常に孤独だった。
いつも何処かに羨望が、その裏には嘲りが存在する。

そんな俺が心を開いた数少ない男、三杉。
聞けば旧家の出身で、その邸宅は地元でかなり有名らしい。
寛永20年からの歴史がある大地主の跡取り息子、
信州の奥にありながら規模として明治初期の358町歩、
明治三十年代で940町歩、昭和初期に1500町歩数え、
昭和初期に完成した本宅は総縁側で深い森に囲まれていると言う。
そんな話を下世話好きな同郷の男が俺に耳打ちした。
心臓に疾患がある為遅れての入学であったが
かなりの額が大學側に詰まれたと聞く。
入学する数年前に父親とも死別、現在では三杉自身が
若き当主としてその手腕を振るっているとの噂も耳に届く。

俺は三杉と言う男に好意を持った。

生まれ付いてしまった自分の境遇、
それを壊す勇気も無いまま育ってしまった俺は
三杉のまっすぐな視線、落ち着き払って毅然とした態度、
己の力で切り開いて行くその力強さ、羨ましく思いつつも
心のどこがで全てのルーツが同じく、と感じていた。

全く違う境遇であるのに、なぜか同じ匂いのする男。

性質が全く同じくして、決して交わる事の無い糸が
隣り合って果てしなくまっすぐに伸び続ける感じ。

いつしか次第に心を許して行った。







そんな三杉から届いた、初夏の匂いのする手紙。






俺はペーパーナイフで封筒の縁を丁寧に切ってから、
三つに畳まれた手紙を取り出した。


−−−拝啓、夏盛の候、ますますご健勝のことと存じます。


いかにも三杉らしい、几帳面な細かい字で
堅苦しい挨拶から始まって行く。







読み終わると丁寧に封筒に戻し、
俺は坪田を呼びつけた。








夏の初めに届いた一通の手紙。
その細かい字に綴られた、
三杉からの招待状。

たった一通の手紙が
その後の俺の人生を
大きく狂わせようとは、

その時はまだ
知る由も無かった・・・・・





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