(嘘だ)


違う、俺は今、見たじゃないか。
三杉と少年が…


(コレは現実なのだろうか)



自室に戻って布団をかぶる。



岬少年の言った言葉。

『好きな人にはこうするんだよ』





俺が少年に問うた返答はこうだった。
『兄者の事 凄く好き』

彼の中で、凄く好きとは
この行為も含んでいるのだろうか?









夕方に感じた、
あの甘い感触が俺を襲う。




























『やし…若林・・・』
『うん…』

目を開けるといつの間にか開かれた
縁側の光に目を奪われる。

『今日はよく寝てるな、でももう起きた方がいい』
『三杉…』


寝れない、と思っていたのに
いつの間にか俺は熟睡していたらしい。

『もう朝餉の支度も出来ている、早く来いよ』



三杉の柔らかい笑顔。
誰かに似ている。

そう、あの少年の面影が残る。
兄弟なんだから当たり前か・・・


三杉が襖を閉じた途端、
昨夜の現実が俺を襲って来た。




三杉も岬少年も
あの笑顔の下に現実を隠してるんだ。




陽もちょっと高く登り、
うだるような湿気の立ち込める中、
俺は一人 寒々と身震いした。


















『東京から戻ってみて思ったよ、やはり此処は退屈だ』

三杉の横顔を伺いながら
俺は『へえ、そうかい』と一人ごちる。

嘘だ。
お前には岬少年が居るじゃないか。
あの、小さな離れで
一人延々とお前を待っている弟。

『なんだ若林、今日はヤケにおとなしいな』


三杉が弱々しく笑う。

『いや…別に』
『俺の居ない間退屈してるんじゃないかと
 心配していたけれど』

いいや。
君の家の事情に踏み入って退屈じゃなかった。

『そんな事無いよ』

俺の仏頂面に三杉が笑いかける。

『なら、良かった』

まじまじと三杉の横顔を眺める。

『三杉、お前顔色悪いぞ』
『ああ…実は東京へ着いた晩に発作が起きて』

『発作?』


最後の味噌汁を啜ってから
三杉が慎重に箸を置く。

『心臓に疾患があってね…』







口の減らない学友が言ってたじゃないか。
『アイツ、病気で3年も遅れて入学してるらしいぜ』

俺の心の
何かが疼いた。

『今は…今は平気なのか?』




昨日の三杉の姿が思い出される。





『ああ…多分ね、東京でも医者に罹ってる』
『でも、顔色が悪い』




三杉がどんな人間であれ、
一人の疾患を持った 友 である事には変わらない。






















分らない。

自分がどんな態度で三杉に接していいか。
俺は彼の自宅に招かれて
つかの間の休息を楽しんでいた。

知らなければ良かったのに
俺が三杉の領域に土足で踏み込んで
彼の秘密を知ってしまった。

でも、その秘密は
決して正しい事とは思えない。


『申し訳ないが、ちょっと休んでくるよ』


そう言った三杉の姿が
あの少年と同じに
虚ろに
儚く
俺の心を揺さぶって行く。




こんな状況でも
あの少年は

こんな青空の下で
兄を思っているのだろうか?






















静かだった屋敷がにわかに騒がしくなった。

人の走る音、
慌しい、タミさんの声。


いても立っても居られずに
自室の襖を開ける。

『タミさん』




玄関前、黒い電話の前に
へたり込むタミさんの姿を見つけた。

『若林様』

そのか細い身体を抱え上げて
静かに背中をさすった。


『三杉様が発作を起こして…』

泣き崩れるかと思うほど
その老女はうろたえていた。

『今、お医者様を呼びました』
『三杉は?自室に?』

その言葉に急に我に帰った様子で
俺の顔をしゃんと見上げる。

『はい。暫く若林様もお近寄りにならないように』






さっきまで居心地の良かった静寂も
今ではなんだかムズ痒い。

暫くして隣の部屋に人の声がこだまする。


『三杉』


俺の心は
別の所に飛んでいた。




















『岬…大丈夫?』

今日は縁側ではなく、
その薄寒しい部屋の布団の横に
少年は小さく丸くなっていた。


『源三』











まただ。

昨日の映像が俺を捉えて離さない。
この赤い着物の下に
その白い肢体があるのを
俺は知っている。

『兄者はまだ死なないよ』

涙で濡れた顔で俺を見上げる。

『だってあの言葉を言わなかったもの!』










俺の腕の中で泣き崩れた岬を
優しく優しく愛子ながら
俺は何も言えずに居た。























(帰ろう)

ここに居ても何も出来ない。
昼間、泣き疲れた少年を
そっと布団に横たえてから
ずっと心の奥で思う。

ここは三杉の聖域で
俺の立ち入る隙間は無い。

あの少年も
心はやはり惹かれるけど
これは秘密裏の話なのだ。

三杉の死が近い感じがする。
だからと言って
今の俺に何が出来るのだろう。

(明日、三杉の容態が良くなったら)
(いや、タミさんに朝一番に言おう)



『帰る』








俺の呟いた言葉は
何の感情も持たずに
ただ、目の前にある情景に
そっと そっと消えて行った。





トントン…




真夜中も過ぎたと思われる頃、
襖を叩く音が響く。

案の定、快適な眠りから程遠い俺は
誰が来たのかと身を起こした。



『若林』

『三杉!!!』



音もなく襖が開いて
ちょっと頼りなげな姿が浮かぶ。

『寝ていなかったかな?』
『ああ…』


ダメだ。
今の俺はアンタがちゃんと見れない。
本当に友達だったのか?
それとも三杉は只の男だったのか?


『話があるんだ』

ヨロヨロと部屋に入り込む。

『大丈夫か?』

俺は張り巡らされた蚊帳を抜けて
三杉の側に駆け寄った。

『そこに、掛けてもいいかな?』

縁側にしつらえられた椅子に
三杉の身体を落とす。

コイツ、こんなに痩せてたんだ。



『今日はすまないね、発作が起きた』
『要らない心配だ、三杉』

そう。
俺は明日此処から去るから。
だから、もう
君の事もあの少年の事も気に掛けない。









暫く窓の外を眺めていた三杉が
急に口を開く。

『若林は休み明けの論文に
 アインシュタインについて書くんだ』



まるで、何度も練習したかの様に
その、冷たく平坦な言葉。

『何故?』


なんで三杉がそんな事を知ってるんだ?
体の奥で 何かがムズムズ湧き起こる。

『本を読んでいたから』
『本?』


そう言えば俺。
アインシュタインの本を持ってきた筈だ。
でも、今日は見ていない。
最後に読んだのは…
そう、少年と会った
あの 

縁側だ・・・



『三杉』

俺のうろたえた様子に
三杉がホロと笑顔をこぼした。

『そう、アインシュタインだ』



もしかして三杉、
俺が少年に会ったのを知って・・・


『君が縁側に忘れて行った』


やっぱり気が付いて・・・


『その…三杉、俺、何も悪気があって…』

悪気があって君の領域に踏み込んだんじゃないんだ。
本当に偶然に、
本当に一時の好奇心だったんだ。

少年が、
俺に口づけする前までは・・・





『いいんだ、若林』

そう言ってまた口を噤む。

『いや、良くない、俺は…その…』

本当に悪気は無くて・・・
そう言い掛けた俺に三杉が切り込んだ。





『岬を君の家で引き取って欲しい』










『え?』









三杉の口から出た言葉。
何の想像もしていなかった。

『な・・なんて?』

『言った通りなんだ、岬を君に連れて言って欲しい』



今日は何度この感覚を味わうのだろう。
相手が言った言葉をうまく飲み込めなくて
ただ ただ 翻弄する。


『岬は若林が好きらしい』
『違う・・・ソレは言葉のあやだ』

そう。
あの不思議な言葉遊びのアヤだ。
友達=好き にしなければならなかった・・・
だが、自分の頬が火照る。

『岬は、俺以外はタミとしか接触が無い』


三杉が一つ息を吐く。


『そんな岬が、若林が置いて行った本を
 必死に隠そうとしたんだ』
『・・・』

『多分、若林と接触した事を
 俺に知られたくなかったんだろう』
『何故?』

三杉の目が
俺に向かってキラリと光る。

『俺が怒ると思い込んでるからだ』
『何故三杉が怒るんだ?』

『ソレは…

三杉が苦しそうに胸を押さえる。

『三杉!!!』

思わず近寄った俺に
三杉が弱々しく手を上げる。

『すまない、大丈夫だ…』


三杉の姿を見て思う。
何故?
何故この兄弟は
怒りに触れると辛そうにするんだ?

『岬は頭がいい。一度目にはいったもの、
 耳に入った物を全て覚える』

あ・・
だから、彼が言っていたこと。

『若林にも見せた爺さんの蔵書は
 殆ど彼の頭の中にもある』

『でも彼は友達が理解出来ていない』


フ と三杉が首を傾げる。

『岬には 感情 が理解出来ない。
 たとえば 努力 と言う言葉が存在する。
 本で読んで意味を分っても、彼には理解出来ない。
 それに伴う行動・・・一生懸命やるとか
 それに苦労が伴うとか、苦しいとかが分らない。
 綺麗 と言う言葉が存在して意味も分るけど
 岬自身が心に何かを 綺麗なもの と感じることは無い。
 何故なら彼には 感じる経験 が無いからだ』

『経験をさせないのは君だろう?』

『違う。欠落しているんだ…』

三杉の拳が膝に打ち付けられた。

『岬は俺や君が好きだと思っている。
 だけど岬にはその感情が理解出来ない』


だからつけこんだのか?

好き と言う言葉に口づけを?
凄く好き と言う言葉にはSEXを?

感情と行動はイコールにならない。
だが、そのイコールを
感情の欠落した少年に植えつける事は出来る。



『血 って分るかい?』
『血?』

夜の啼き虫が一瞬息を潜める。

『血縁者の中で繰り返され、
 濃くなっていく血だ』

つまり、親近相姦。


『僕の周りで行われている血。
 それははるかに君よりも濃くて
 時に通常では無い事態を引き起こす』

『つまり?』

『岬には濃い血が流れてる。
 だから五体満足で生まれ付いても
 あんなに頭が良くても・・・
 彼には感情が殆ど無い』

『・・・』




今日、三杉が倒れた折に
東京へ帰れば良かった。
俺は何故、こんな話を聞いているのだろう。


『岬の頭の良さを知っただろう?
 それは決して野放しで喜べる事では無い。
 誰かが興味を持ったら、僕らの事を調べに来る。
 僕は岬が怖いとさえ思うときがある。
 彼を愛おしいと思う反面、その事実に怯えてるんだ』


怯える?
何を怯えるんだ?


『若林』





改まった声で俺を呼ぶ。

『君が拒絶しても構わない。ただ
 岬は君を拒絶しなかった・・・
 それは僕には驚くべきことで
 通常の事ではない。だから君に頼みたい』

『何を?』


『岬を君の世界に連れて行ってやって欲しい』









何故だ。
唇に浮かんだ問いを俺は必死に噛み締めた。
何故、俺なんだ。


『見ての通り、僕はそんなに長く無い』




三杉の疲れきった顔が浮かぶ。
嘘をついているとは思えなかった。

『岬を外に出してやりたいんだ・・・
 だか、この三杉家からではダメだ。
 色々な事柄が絡んでいるから』

『連れて行ってどうするんだ?』

ただ、遊ばせておく訳ではないだろう。

『もし、君が岬と約束したとおり、
 君が友達で岬を好きで守ってやれるなら…
 君の庇護下に置いてやって欲しい』

目の前がクラクラする。
岬少年は全て三杉に話しをしている。


『岬の身元もうまく隠せる・・・
 そんなの、若林を置いて他には頼めない』
『それは俺の家について言ってるのか?』

『…それもある』

『俺の家が普通の家より財政面で融通が利くからか?』

『違う。一部はそうかも知れないが
 本質は違う・・・俺は自分の体を知っている。
 今年中はもつかと思ったがそれも…今では怪しい。
 若林、お前を此処に誘ったのは本気で、
 本気でお前に息抜きをさせてやろうと思ったからだ。
 ただ、一つ事情が違ってきた』

『どんな事情だよ』

『岬が若林に打ち解けた』





俺は一瞬息を詰まらせた。





『岬は自分に感情がない分、本能的に人に対して敏感だ。
 アイツは昔…激情に駆られた人間に怖い目にあっていて・・・
 怒り と言う感情に敏感なんだ。タミがちょっとイラ付いていても
 アイツは過敏に反応する。だから他の人間と接触を絶っていたのに
 まさか若林に心を開くとは思ってなかったんだ』

『岬の言っていた あの男 ってヤツだ』

『そう。その男に殺されかけた。
 アイツの感情が欠落したのは・・・その時かも知れない。
 まだアイツが5つの時だった』

『殺されかけたって・・・誰に?』



『岬が父親と呼ぶべき人間に』












俺の家はいつでも人が居て
なんやかやと世話を焼かれてきた。
父親も母親も誰も居なくて
泣いても叫んでも
ある程度、孤独に耐えうるだけの
俺には庇護があった。

父親に殺されかける なんて


『俺には想像出来ない』



体がグラついて肘掛をつかむ。









『僕らの家の中は普通じゃない。
 もし君が岬を庇護下に置いてくれるなら
 僕は全てを若林に話す』




告白           だ。

何故だか分らないけど
俺は一瞬そう思った。




『庇護下に置くって…ただ預かるだけか?』

『違う』

『若林家に迎え入れるって事か?』



三杉の体が前にのめって、
一瞬倒れるかと思ったが、
三杉は自分の膝に肘をついて
その手の中に顔を深く埋めた。

『岬には戸籍も存在しない』

『え?』

『つまりこの世の中に岬の生存を知るものは
 ほんのわずかしかいないんだ』
『何故?』

また   何故    だ。

『岬は生まれてはいけない子供だった』

俺はもう一つの 何故 を飲み込んだ。



『僕が死んだら、財産の全てを岬に相続したい、
 けれど今の僕にはそれすら難しい』

あの少年はこの小さな離れで生きているのに
生きている証拠も無い。

この世に存在していない 少年。
なんだか益々感心が強くなった気がした。

『岬の出生の秘密を、誰にも明かしたくないからだ』
『俺には彼を世間に出す事が出来るかも知れない と』

三杉がその青ざめた顔を上げる。

『信じてくれ。本当に君をそんなつもりで
 此処に招いた訳ではない。ただ、考えれば
 君にはそれが可能かも知れない。だから
 だからこうやって話をしているんだ』



確かに。
得体の知れない子供を
急に預かるのは通常の家では
きっと難しい事だろう。

だか俺には若林財閥の名が背後についている。
国家予算にも影響を及ぼす俺の家柄は
子供の戸籍を取る位、造作の無い事だろう。
しかも、内密に。



『教えてくれ、岬は幾つなんだ』
『今年で11になった』


11歳の子供に・・・
三杉はあんな事を?


『この家に来て6年経つ。それまでは母親の実家で過ごした』
『何故・・・』


また  何故  だ。


『え?』

『教えてくれ。何故・・何故三杉は・・・』


昨日の情景が益々強く蘇る。


『昨日、俺は夜、あの離れに行った』

目の前が砕けそうだ。






『教えてくれ』

肘掛を掴む手に力が篭る。






『知ってる。君が見ていたと岬が言った』


心臓が止まりそうになる。


『何故そんな関係になったんだ?』












三杉が俺をしかと見つめた。

『これから話をする事は僕が死んでしまえば
 誰も話すことの無い話だ・・・
 若林の理解はちょっと超えるかもしれない。
 けれど起こってしまった事実は・・決して隠せない。
 そしてあの真実に敏感な岬ですら知らない話なんだ。
 だからどうか、僕のこの話と岬を早急に結びつけないで欲しい』

『何の話をしているんだ…』









ミスギがゆっくり身体を起こして
椅子に背をつける。
その顔はもう、
尋常ではない状態を物語る。

俺の背に汗が流れた。
暑い訳では無い。

ただ、
俺は
怖かったんだ。






三杉が意を決した顔で
俺にその言葉を呟く。






『岬は本当は…僕の子供なんだ』






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