若林の足が薄暗い通路をゆっくり進む。
どこからとも無く淡い音楽が流れ、
落とした白熱灯が長い、長い影を落とす。

ここは都内にある最高級のクラブ、
完全会員制で著名人ですらめったに
足を運ぶ事の出来ない、
優美でステータスな場所である。

各国の美男美女を取り揃え、
来るものを必ず甘美な世界へと
導いてくれるとあって、連日
会員希望者が待ち焦がれているのだが
その狭き門は更に狭く、
金持ち連中の心をくすぐっているのだ。

『来たぜ』

そんな凡人には手の届かない
更に奥の部屋に若林が足を止める。

若林源三

若き頃はサッカー界でその名を轟かせ、
今は日本経済に深い爪を立て、
若林財閥の名と共に、若き立役者として
広く知られている男である。

『なんだ、遅かったじゃないか・・・』

その部屋の奥、広いマホガニーのテーブルに
一人の男がニヤニヤと席を置く。

『あれだけ早く来いと言ったのに・・・』
『会議が長引いた。。スマン』

その男は立ち上がって若林を更に奥へと導く。

『今日は特別な日だってあれだけ言ったのに』
若きオーナーがクスリと笑う。
『お前からのプレゼントなんてちょっと気味が悪いよ』
若林も同じくクスリと笑った。

ビルの最上階にも関わらず、優に3メートルはあろう
満天の摩天楼を見下ろすガラス窓を背に、
オーナーが若林に席を勧める。

『また事業が成功したそうじゃないか・・・
 まったくこの男はどこまでその手腕を広げる事やら』

目の前に置かれた細長いグラスを手に取る。

『若き日本の立役者、若林源三に・・・』

二人のグラスが小さくチン・・と鳴いた。

『乾杯』


しばらく経済の話が進み、若林が苦笑する。

『オレはココに賞賛を聞きに来た訳じゃない』
『確かに・・・』

どこまでも深く体を支えるソファに身を沈め
オーナーがゆっくり切り出した。

『お前、まだ身を固める勇気は無いらしいな』
『さあな。。。』
『先日も旧家の令嬢との見合いも断ったそうで』
『さすがに情報が早い・・・』
『ここに居ればどんなゴシップも耳に入る。。。
 そこでお前にプレゼントを思いついた』
若林がクックッと笑い出した。
『その令嬢の代わり・・にか?』
『なんとでも言っておけ・・オイ・・・』

部屋の暗闇にどことは無しに声を掛ける。

『これがプレゼントだ・・・』

薄暗闇から、スーツを着た男に連れられて
か細い線が浮かび上がる。
一瞬、若林の喉がゴクリと鳴った。

『岬、おいで・・・』

オーナーの手招きに岬と呼ばれた子供が前に出る。

薄闇から摩天楼の明かりの下に静かに出る。

『こんにちは・・・』

恥ずかしそうに俯いて、その声も高く上ずる。

少女?いや、少年?

持っていたグラスをテーブルに置いて
若林が身を乗り出した。

素足にシルクのガウンをまとい、
心持ち寂しそうに襟元を掴む。

『若林、岬だ』

オーナーに背を押されて岬が若林に歩み寄る。
近くに来て初めて、岬の顔をマトモに見た。

『こんな・・・』

若林の口から驚愕の言葉が零れ落ちる。

サラサラと流れる前髪が、濃く上を向く睫が、
若林を見上げる大きな薄茶色の瞳が
そのバラ色の頬、誘うような唇、
匂い立つ花の様に可憐な姿が
若林の目の前で打ち震える。

『若林、可愛いだろ、岬だ。父親は画家で
 先日から行方が分らん。警察に保護されてる所を
 俺たちが拾い上げた』

若林が自分の隣を優しく叩く。

『おいで』

一瞬スーツの男を見やってから、
静かに岬が腰を降ろした。

『歳は今年で16。ココに来てまだ1週間だ。
 まだ、何も教えてない・・・』

オーナーが上等な葉巻に火をつける。

『アンタにピッタリと思って大事にして来た』
『オレ・・』

言葉を失った若林をオーナーが優しく笑う。

『アンタの趣味はお見通しって事だ、な!』

不意に若林が笑い出す。

『全く・・・』

葉巻をもみ消しながらオーナーも笑う。

『この高級クラブの最上のタマを差し出しても
 アンタの心を捉える者は一人も居なかった
 でも、岬はそう言うたぐいと違う・・・』

不安そうに岬が若林を見上げる。

『アンタが要らないと言えば、これから
 ここで働く術を岬に仕込まなくちゃならん』

『わかったよ、オーナー・・・』

若林がそっと岬に手を伸ばす。

『ミサキ・・って言ったね、歳は16?』

答える代わりに見つめながらうなづいた。

『オレは若林源三・・・一緒に来るかい?』

不安そうにスーツの男を見る。
次にオーナー、そして若林を見た。

『僕・・・』

その一言に若林が面食らった。

『男の子なんだ』

オーナーも肩をすくめて一緒に笑う。
『アンタが見抜けなかったとは・・ね』

若林がミサキの手を軽く握った。

『ミサキ・・オレと一緒においで、いいね』
『・・・うん・・・』

不安そうにミサキがコクと頷く。

その姿にオーナーがパチンと自分の膝を打った。

『やっぱり!若林はこのタイプに弱いと思ったんだ』
『オーナー、ありがたく申し出を受けるよ・・』

『じゃあ、ミサキに支度をさせるから・・』

スーツの男がミサキの手を引いて
また暗闇に消えていく。

オーナーがドンペリを更に継ぎ足した。

『な、オレの思った通り。お前はあのタイプに弱い』
『そんなんじゃ無いよ』

あの、一瞬の、『助けて』と言うミサキの目。

『岬は可愛いが貪欲さが何も無くてな、
 ココでは使えない・・そこでアンタを思い出した』

オーナーが何時に無く饒舌になる。

『アンタはどんな上玉もその貪欲さが嫌いと言って
 決っしてハマろうとはしなかった・・・けれど
 結婚する気もなさそうだし。ミサキに関する書類の全てだ』

若林がいくつかにサインをした時、
ミサキがスーツの男と共に入って来た。
清潔そうなシャツにズボン、なるほど、
こうやって見ると確かに男の子だ。

『若林が飽きたら、いつでもココに返してくれ』

オーナーがその無粋な手を差し出す。

『いや、決して返さないね・・・』

苦笑しながら若林がその手を握る。
少なくとも、ココには決して・・・

『ミサキ、行くぞ・・・』

若林がその背を押すと、ミサキがスーツ男に
くると振り返った・・・

『一週間、ありがとう・・・』

スーツ男の動きが止まる。
彼もオーナーの下で何年働いて来たのだろう。
だか、こんな謝礼は初めてだったに違いない。

そんなミサキに若林の関心も強くなる。





豪奢な車のバックシートに
ミサキが小さく身を丸めた。

『ミサキ、寒くないか?』
若林が怖々手を伸ばす。

肩に触れられてミサキの肩がビクとしなった。
『大丈夫です・・・』

不安そうに抱えるリュックをギュっと抱きしめる。

『ミサキはどこから来たんだ?』
威圧的にならないように若林が声を落とす。

『ボク・・・色々な所を転々としてて。。。
 父さんが帰らなくなったのは九州でした』

リュックを見つめながらミサキが声を発する。

『オレが怖いか、みさき?』

その肩を抱いて自分に引き寄せた。

『大丈夫だよ・・・』

腕の中で身を硬くするミサキの
ちょっと・・・ほんのちょっとだけ
力が抜けたのが分った。

『ミサキは自由にしていていいから・・・』

引き寄せた髪の毛から
ほんのり淡く花の香りが若林を誘う。

思わず頭のてっぺんに口を寄せた。
また、ミサキの体に力が入る。

『(ミサキは今までとは違うかも。。。)』

『変な事はしないから、大丈夫・・・』


不思議な感覚に若林の胸がくすぐられる。
あの店を出て、何人かの男女を家に連れて帰った。
みんなオレにすり寄って自分を最大限アピールする。
そんな姿に飽き飽きしていた。
先日会った令嬢も、絵に描いたような箱入り娘で
何も面白みが無い気がした。

『(うんざりだ)』

摩天楼を背に、車は滑るように高速を降りる。
最近開発された地域の高層マンション。
そこが今の若林のねぐらだった。

『(オーナーにみすかされてる?
 たしかに。。。オレ、こんな気持ち初めてだ)』

腕の中で体を硬くするミサキ。
今はミサキを知りたくて、心がウズウズする。
『(でも・・)』
体だけじゃなくて、
その心の中も

今は、知りたい・・・



地下の駐車場から、そのまま
専用のエレベーターに乗り込んだ。
鍵束から差込み、静かに回す。

『ワンフロア、オレの家なんだ』

ミサキがポカンとオレを見上げる。

『疲れただろ、もうちょっとだよ』


38階で、エレベーターが静かに扉を開く。
匂い立つ花、豪奢なソファが俺たちを出迎える。

『わっ・・・』

驚いてクチも聞けないミサキを抱え、
オレは玄関に向かう。

『ココまでは外、ココからが家だから・・・』

自動ドアに向かってIDを差込み、
黒尽くめの男たちが見守る中、俺たちは
大きな自動ドアに吸い込まれて行った。

玄関からいくつも続くドア、通路をまっすぐに抜け、
大きな窓の有る居間にたどり着く。

オレはそこで初めて上着を脱いだ。

『ココはオレ専用の居間だからくつろげよ・・』

そんな事を言っても岬の耳には届かなそうだった。

『わあ・・・』

窓に張り付いて、トウキョウの夜景を堪能する。
そんなミサキの隣にオレも身を寄せた。

『こんな高い所、僕、初めて。。。』

ミサキに体を寄せながら、その小さな手を握る。
『ホラ、あっち・・東京タワーだよ・・・』

ミサキが興奮してソッチを見やる。
『あれがお台場・・・キレイだろ?』

うん、とミサキが頷いた。
ちょっとワクワク顔でオレを見上げる。

『キレイ・・』

その唇にKISSをした。
ミサキの身体が急にこわばる。

『大丈夫。。オレ、手は出さないから・・・
 ミサキ、これからは毎日この夜景を見れるよ』

そう、そうなんだ。
娼窟から来たこのミサキに
オレは手を出す気が起きなかった。
今まで会ったどんな子よりも可愛いのに
どんなグラマラスな美女よりもオレを擽るのに、
オレにそんな気が起きなかった。

ただ、ミサキの一挙一同が
ただただオレの心を擽って行くんだ・・・

『ミサキ・・・』

目を閉じてコツンとオデコをつける。

『しばらくでいい・・・ココに一緒に居てくれ・・・』

なんだか、ミサキと居たら俺、
優しい気持ちになれる気がするんだ・・・

『ちょっとの間でいいから・・・』

ミサキの手が窓から離れて
俺の首にまわりつく。

『若林さん。。。寂しいの?』

一瞬、笑い出すかと思ったのに
心と反対にミサキを抱きしめた。

『寂しいの?』

もう一度ミサキが俺に問いかける。

なんとも答えられないまま、
俺はミサキにただ、暫く抱きついた。

『僕・・僕が居てあげるから・・』

不意にミサキが俺にギュット抱きつく。

『だから泣いちゃダメだよ・・・』


泣く?
俺が?

泣いてるのは、ミサキ・・・だよ・・・



『俺の事は源三って呼べ』

オデコを外して一番の言葉。
『俺はミサキって呼ぶから・・・』

目の前に外の摩天楼にも引けを取らない
澄んだ美しいものが存在した。

『ミサキ・・・』

その唇を思いっきり味わう。




俺、今までこんな気持ち、
なった事が無かった。。。

今回はオーナーにしてやられた?






『ここがミサキの部屋、好きに使っていいから』
奥の寝室にミサキを連れて行く。

『俺の部屋の隣、トイレはこっち・・・』

暫く広いフロアを連れて歩く。
メイドやら用心棒達は
気を利かせているのか今日は誰の姿も見えない。

最後にミサキの部屋に戻る。
持ってたリュックをベットの端に置いてやる。

『明日、買い物行こう・・な』

優しく頭を撫でてミサキを見やる。
やけに緊張したミサキを尻目に

『早く寝ろよ・・』

そう声を掛けて部屋を出た。



居間でゆっくり酒を飲みながら
今夜の数奇な運命を辿る。

『(俺があんな少年に夢中なんて・・)』

一人苦笑いしてソファを降り立つ。








自室のシーツをめくりながら耳を澄ませると
どこからか誰かの啜り泣く声が聞こえて来る。

『ミサキ・・』


部屋を開けると薄暗いフロアランプの下、
大きなベットにミサキが小さくうずくまってる。

『どうした?』

俺がベットに腰掛けるのと
ミサキが抱きついて来るのが同時になった。

『だって、ココ、広くて寂しいよ・・・』


白いパジャマのミサキを抱えて
俺の胸が静かに優しさに満ちてくる。

『ほら、もう大丈夫だよ・・・』



そのまま、細い肩をあやしながら
俺までミサキの暖かさに
その甘い香りに包まれて
眠りの淵に引き摺りこまれる。

『大丈夫・・・』




俺の抱擁に安心したミサキ。
その横顔に俺まで安心して
ミサキに身を寄せる。




神様。

人の肌ってこんなに
暖かいモノだったんですね。





身寄りの無い
子犬の様に
二人の肌が触れ合う。

今日始めて会ったのに
ミサキは俺の心に
静かに、静かに
溶け込んでいった・・・・





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