岬が来て2週間が経った。

まるで以前からソコに存在していたかの様に
若林との共同生活にも柔軟に対応して行く。

若林が出勤すると家庭教師と勉強し
昼食を食べ、午後にまた勉強をして
マンション内にあるスポーツクラブで
身体を動かしてからまた勉学に励む。

まるで水を得た魚のように
岬はなんでも吸収して行く。

その行動に鼻が高い反面
若林の心配も増えて行った。




『(本来ならもっと外で遊びたいだろうけど)』



若林が早く戻れる時は
一緒に食事をして
側にくっついて談話を楽しむ。

楽しんでいたのは若林かも知れない。

『明日は一緒に外で夕飯を食べよう』

明日は金曜日。


仕事も勉学も一旦お預けの2日間。

『週末、一緒に伊豆の別荘に行こうな』


ソファに座った岬の膝を枕にして
革張りのソファに長々と寝そべる。


『うん、楽しみにしてるね』


岬が読みかけの本から顔も上げずに答えた。



『なあ・・岬・・・』



若林がちょっと身体をずらして
岬の手に有る本を掴む。

『1分だけ・・・』

岬がにこやかな笑顔で若林を見下ろす。

『じゃあカウント開始 
 60・・・59・・・


 早く言わないと終わっちゃうよ』



『こいつ・・・』





笑い合って触れ合う度に
互いに溢れる胸の内が零れそうになる。

誰にも邪魔されない
隔絶した空間で育まれる想いが
淡い色彩を伴って
お互いがお互いを惹きつけた。

ホンの偶然が重なって出会った2人が
一つの偶然がちょっとでも違ったら
決して出会わなかった2人なのに

離れている時には
まるで半身をもがれたかの如く
常識となって時間を刻んでいく。


『明日泊まる支度をしてオフィスにおいで』

若林の腕の中、岬がコクンとうなづいた。

『俺、7時には終わるから・・・』


『僕、ちょっとの間だけ伊豆の小さな町にいたよ』

岬の目が過去の残像を捉える。

『父さんは海を描いてた』

『そっか・・・』



『(父親が現れたら

 岬は・・・・・





 どっちを選んでくれるんだろう)』




岬をギュッと抱きしめた。
岬の背中に白い翼が生えていて
自分と違う世界に飛んで行かない様に。

『(違う。俺は見守っててやらなきゃいけないんだ)』


いつか自分の側から離れてしまっても
自分は岬の側に居られる様に

自分の手の中に残された
白い羽を見つめながら
岬に語りかけられるように




六月の雨がポツリ・・・
ポツリと窓を打つ。



若林が流す涙の代わりに
垂れ込めた雲が泣いていた。












『じゃあ岬、後で』

玄関先で岬が笑って若林を送り出す。

『僕、7時に行くね』







専用のエレベーターで駐車場に向かいながら
敷き詰めたカーペットを見つめた。

『(このまま続いて欲しい)』


お金で買えるものなら何でも
欲しいと思うものは何でも
手に入れて来た若林なのに


『(岬はどっちを選ぶんだろうか・・・・)』










岬には自分を選んで欲しかった。



















自室の窓から豆粒くらいの往来を眺める。

今までの自分なら
見上げる事は出来ても
見下ろす事は絶対に
不可能だった世界。


家庭教師が来るまでの時間
若林が揃えてくれた部屋を眺める。

15畳位のカーペット敷きの明るい部屋。
『木目調の方が落ち着くから』
若林がそう言って、衣装ケースから
大きな机からソファから
生活に十分すぎるほどに
岬に買い与えてくれていた。

『(今まで住んだどの家より広い)』

岬が壁に背をつけてペタンと座り込む。


『(こんなの、僕、どうしたらいいの)』



父親と2人で全国を回りながら
色々な人と触れ合い、笑って、別れ、
出会い、父親を思う。


自分が着ている清潔なシャツに手を這わす。


父親が失踪してから入った
劣悪だった孤児院の現状。

自分には無縁の世界と
感じていた岬だけにショックは大きかった。

自分には父が居たから。
絶対に迎えに来てくれると信じていたから。
他の孤児とは違うと思っていたから。

『(僕には父さんが居るから
 父さんの顔を覚えているから・・・)』




『(本当は父さんに会って聞いてみたい)』

『(僕が何かしたのかな・・・

 


 それとも父さんが自分の為に選んだの?)』


床にコロンと転がり込む。


『(源三は本当に僕と居たいの?)』

『(一緒に居たいなら・・なんで?

 僕は源三にどうやってお礼をすればいい?)』


源三が自分を養子にしたのは知っている。
でも、タダの親子では無い。



源三が自分を恋人として
側に置いてくれてるのを知っている。

若林が何度も言う。
自分をとても大事にしてくれている。


だからこそ・・・


岬の中の戸惑いが
源三にも伝わっているかも知れない。

『(僕も・・・源三の事が好き)』



ずっと、何があっても零れなかった涙が
何年かぶりに岬の頬を濡らす。




『(源三の事、知りたい・・・)』




でもそれは父親に対する裏切りかも知れなかった。













『岬坊ちゃま?』

中川が岬の部屋に入り込んだ。

『そろそろお支度なさいませ』


ちょっと薄暗い部屋の机で
岬が熱心に本を読む姿に
中川の胸が熱くなる。


『中川が荷物を詰めてさしあげましょうか?』


岬に構わずクローゼットを大きく開く。

『あいにくの雨ですが伊豆のお家なら
 思いっきり外で遊べますよ』


中川もまたこの不健康な環境に危惧していた。


『お庭が広いから・・犬もおりますし』



必要と思われる品々を
大き目のカバンに詰めえ込む彼女の傍らに
岬が静かに腰をかけた。

『ねえ、中川さん』

岬の真剣な様子に中川も手を止める。


『僕、今までこんな広いお家に住んだ事も無いし
 自分の部屋を持ったのも初めてで
 みんなに良くしてもらって・・・・・
 源三とか皆さんに、どうやって
 ・・・お礼をしたらいいと思う?』

元気の無い岬に向かって
中川が明るい声で話しかける。



『源三坊ちゃまがお小さい頃、
 それはそれは大人びた子供で御座いました。
 大人の中でも平気で渡り歩いて・・・
 中川は心配していたくらいなんですよ。
 ・・・でもある日、学校からの帰りが遅くて
 みんなで心配しておりましたら・・・・・』

中川が思い出してクスっと笑う。

『腕一杯のお花を抱えて戻っていらして
 私にこう言ったんです。

 (道にキレイに咲いていたから
  中川に摘んで来た) ってね。

 私はもう、嬉しくて嬉しくて・・・


 ねえ、岬坊ちゃま、
 感謝の心を表すのに、言葉は要らないんです。
 絶えずその人の事を考えて感謝しているならば
 おのずと心が行動するはず・・・』

『岬坊ちゃまが来てから源三坊ちゃまは
 随分と変わられたんですよ、いつも笑顔で
 お家にもちゃんと戻りますし・・・』

中川が岬に微笑み掛けた。

『岬お坊ちゃまが想ってなければ
 絶対に源三坊ちゃまには伝わりませんから』

『物や言葉で謝礼を欲しがるのは俗人です。
 源三坊ちゃまはそんなお方では無いですわ』


岬が手を伸ばして中川に触れる。














『僕・・小さい頃、お母さんが行っちゃって
 良く・・わからないけど、もしココに居たら
 中川さんと同じ様に・・・言ってくれるかな?』


中川がそのしわくちゃな手を重ねた。

『ええ、きっとね。
 でも岬お坊ちゃまのお母様は
 こんなお婆さんじゃありませんよ』


岬の顔に笑顔が戻る。


『僕、ココに居てもいいと思う?』


その問いに中川が驚いた表情をしてみせた。


『アラ、私は死ぬまで
 お二人の面倒を見ようと思ってるのに、
 年寄りの楽しみを半分奪っちゃうおつもりですか?』







岬が中川さんにギュッと抱きついた。

『中川さん、ありがとう』


中川がその背中をそっと撫でてやる。


『源三お坊ちゃまも絶対にそう思っておられるはず。
 でなければこの家には招かないはずですよ。

 源三坊ちゃまは人を見分けるのがお得意ですから・・・』



岬の背をポン、ポンと叩いた。


『岬坊ちゃまも色々お辛い事もおありでしょう。
 けれどそんな人間こそ、幸せになる資格があるんです。

 人間がお互いを知るのは時間じゃないんです。
 その深さなんだと私は思っております。

 だから・・・

 今のお気持ちを忘れないで
 そうすればおのずと、源三坊ちゃまには
 伝わって行きますよ』


痩せた小さな背中を
そっとそっと抱きしめる。

『さあ、源三坊ちゃまがお待ちです』


『うん・・・』













着替える為に岬を部屋に残して
中川がそっとドアを閉める。

老女の目に浮かんだ涙を
白い前掛けが優しく吸い込んだ。



人間の人生が音も無く交差する時間。
その道が正しくとも違っていようとも
今、何が必要なのか、
いつまで必要なのか、
そんな戯言は目の前にあっても意味をなさない。


人間の価値を決めるのは
外観や財力では無い。
その人の心の中身がその価値を決めていく。




中川は家政婦と言う立場上、
主人に逆らう事は出来ない。
初めは
(どこの馬の骨ともわからない子供)
と思って警戒していたのは間違いない。
けれど
今では
彼女自身も岬が大好きなのだ。


『(私だって最初は不安でしたけど・・・

 岬坊ちゃまなら大丈夫でしょう)』










車の背に揺られながら流れる景色を眺める。


『(僕と源三の時間・・・)』

『(父さんと過ごした時間とはまた違う)』


岬が膝の上で小さな拳を作る。

『(目の前にある必然性を選んだんじゃなくて
 僕自身が選んだんだもの・・・)』

娼窟から若林に出会って
もし本当にイヤなら逃げ出せばいい。
自分は今やただの孤児で、自由なんだから。

若林が与えてくれる財力が嬉しいとは思わない。
むしろ、戸惑いを覚える。

『(違う、

 源三と一緒に


 僕が居たいからだ・・・)』


岬の人生に置いての絶対性。
それが今までは父親だった。

でも、もう違う。

心のどこかがその事実を拒む。


『(だって父さんは?

 僕が想わなくなっちゃったら


 ・・誰が父さんを想うの?)』






岬の困惑を乗せたまま
車は若林の待つオフィスビルに吸い込まれて行く。


慣れない手つきで
渡された鍵を回して
専用エレベーターに乗り込んだ。

『(こんな手の届かない世界ですら
 今は身近に感じてる・・・)』


岬自身、自分の変化に驚いて
戸惑いが隠せなかった。





エレベーターホールから
以前に来た大きな大きなドアをノックする。

『(誰も居ないのかな?)』

耳にのしかかる沈黙の重圧に耐えられず
そのドアを開けた。

『わあ・・・』


オフィスの中の光源は極力落とされ
目の前に美しい東京の夜景が広がる。

前に来た時は昼間だったから
気が付かなかったけれど
源三の家のベイサイドとはまた違う夜景に
岬の心は一瞬にして奪われて
大きな窓に近づいた。



『キレイ・・・』



『(もし・・・もし父さんがこの東京に居て
 もし僕を探していたら?僕の耳に届く?)』

『(父さんは僕がこんな高いところに居るなんて
 絶対に絶対に思わないハズ・・・)』


岬少年の胸に小さな覚悟が出来た。

『(僕、源三と一緒に居たい。
 だから・・・その為に


 答えが欲しい・・・・・)』



ガタン・・・
大きな物音に振り返るとそこに
あの、娼窟のオーナーが現れた。


『これはこれは・・・』

キッチリした足取りで岬に向かって進む。

『私が若林に差し上げたプレゼント君だ・・・』


岬の目が怯えてその場に身を硬くした。


『ずっと一緒に居るらしいな』



近くに寄って岬のアゴをクイと掴む。

『お前にそんな能力があるんなら
 俺の店に置いておくべきだった』


『・・やっ・・・』

離れようともがく岬をガッチリ捉えて
片手をその身に滑らせて行く。

『ここんとこ、彼は全然店に現れなくて
 ・・ちょっと後悔しているんだよ』

苦しそうに喘ぐ岬に男が顔を近づける。

『どうやって彼を垂らし込んだんだ・・・?』

『源三っ・・助けて!!!』








『オイ、貴様、何してるんだ』

背後から若林の声が響いた。
その男の肩を掴む。

『その手を離せ』


殴りかからんばかりの若林に驚いて
男が岬からパッと手を離した。

『これはこれは。。。ちょっとした挨拶だよ』


ゆるり、とその身を若林に向ける。


『何せ岬は俺が連れてきたんだから・・・』


顔をニヤケさせながら男が若林を差し押さえる。

『どうやってココに入った?』

『あんたの所のグラマーな秘書かなぁ・・・
 あんたが構ってやらないからおかんむりらしいね』

『出て行ってくれ』

男の胸ぐらを掴んで
そのまま部屋の外へと連れて行く。
足元のカーペットがサクサク音を刻み、
エレベーターホールでその身を離す。

『なんだ、若林、随分な扱いじゃないか?』
そう言いつつもどこか楽しげな風情を見せる。

『あんな子供にアンタが本気になるとは思ってなかったよ』

『岬は正式に俺が引き取ったんだ』

『ほお・・・』
若林に乱された衣服をサッと直す。

『だから今後、岬とは関わるな』

若林の真剣な目つきに男が肩をすくめる。

『まあ、いいさ。ウチの店でもアンタが来ないから
 寂しがってるヤツが多くてな、たまには覗いてくれ』

『用件は?』

男がおどけた調子で切り出した。

『岬の父親が岬を探してる。
 先日、孤児院から連絡が有った・・・』

途端に若林の手に拳が握られた。

『コレはアンタの耳に入れないと・・と思ったのに
 随分な扱いじゃないか・・・』

有りもしない埃をスーツから払う。

『まあ、アンタと俺の仲だしな・・・
 良かれと思って岬を渡したのも
 良い方向に行っているようだし。
 俺としては商売上がったりだが
 友情は続くと思ってるよ』

『済まない・・・さっきは驚いて・・・』


男が若林の謝礼を差し止めた。

『この世の中、何が起こるかわからない。
 父親も俺やアンタにたどり着くかも知れん』

男がエレベーターを呼ぶべくボタンを押した。
音も無く箱が開く。

『まあ、アンタなら何とかするだろ・・・』

音も無く乗り込んでニヤリと笑う。

『真剣な若林なんて久々で嬉しかったよ。
 また店にも顔を出せよな』







『(岬の父親が・・・)』


暫く立ち尽くしてハッと気が付く。


『ミサキ・・・』





今の話を聞かれた?
と若林の心配をヨソに
岬はまだ窓辺に座っていた。


『ミサキ 大丈夫か?』

『うん・・・』

『何もされてないか?』

『大丈夫・・・』


意外にも岬の顔に笑顔が浮かぶ。

『今の人に出会って、
 本当に現実なんだって思った』

『僕、この数日間の出来事が
 本当はどこか非現実的で、
 いつか醒めちゃう夢みたいな気がしてた』

『でも、あの人が現れて
 孤児院から僕を引き取って
 僕を源三に遭わせてくれたんだよね』


岬の隣に若林も座り込む。


『いつも心のどこかで
 この優しい時間は終わりが来るから
 だから自分を抑えていて
 父さんが現れたら、僕はまた
 父さんの側に行くんだろうと思ってた』

若林が岬の手を握る。

『でも、さっき源三があの人に
 本気で怒ってたのを見て思った・・・』

『源三が今まで僕に言ってたこと
 ・・全部本気なんだなって・・』

本当なら怒る所かも知れない けど
若林は優しく繋いでる手を揺らした。

『そうだよ』


『僕が源三と居たいって言ったら
 父さんを裏切る気がしていたけど・・・


 僕、本当に・・・』


岬が言葉を切る。


 『源三と一緒に居たいよ・・・』





若林が岬を抱き寄せた。



『だから・・・』



俯いて小さく呟く。


『源三の事、僕に教えて・・・・・』



『源三の人生も


 一緒に

 



 背負って行きたいよ』



運命が交差して
また違う道を造って行く。



『岬・・・』







『(親父さんのことは
 ちょっとお預けにしよう)』




『(今は岬が


 俺を選んでくれたから・・・)』










夜の帳が
優しく
優しく2人を包む・・・・・







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送