数日が過ぎて
若林と岬が肌寒いパリに降り立った。

直ぐに黒塗りの高級車が滑り込む。

『寒くないか、岬?』
『大丈夫・・・』

飛行機の長旅で疲れたのか
父親に会うと言う緊張からか
岬の言葉は極端に少ない。

午前中のパリの風景。

会うとなったら一刻も早く会いたいと言う
岬の意向を汲んで、今日中に会うつもりで居た。








伊豆の別荘から東京の坪田に連絡を取る。
『坪田、俺だ・・・一つ頼まれてくれないか?』


岬一郎の所在と彼の生活パターン、
岬と別れてからの経緯を調べるように指示し、
パリ行きのチケットを手配する。

その他仕事の調整をつける為、
夜遅くまで電話やらパソコンなどで
様々な仕事を片付けた。


『(俺だって岬の心を救ってやりたい)』

ふと、手を止めて自分に問う。

『(解答されるのが遅くなれば
 岬が自分の中に答えを見つけてしまう)』


岬が自分を選んでいるのは知っている。
けれど、それは答えが明確だから。
父親がどんな答えを持っているのか・・・

岬以上に己が答えを知りたいと思う若林だった。









黒塗りのセダンが音も無く滑り込み、
ホテルのドアマンが2人を迎え入れる。

タキシードに身を包んだ支配人が
ニコニコ二人を迎え入れる。

サントノレ通りとシャンゼリゼ大通りが交差する
コンコルド広場に面した、ルイ15世建設の
エレガントな18世紀の建築王宮ホテル。

この4階にある、テラス付きのスウィートが
若林のいつものねぐらになる。

『ホラ、岬、キレイだろ?』

心細そうに身を寄せた岬の肩を
若林がそっそ引き寄せて、天井に掛かる
大きなシャンデリアを指差した。

同乗して来た執事に一切を任せ、
そのままエレベーターで
スウィートに向かう。


この旅行の為に誂えた
オーダーメイドのスーツに身を包んで
岬はいっぱしの大人に見える。

『(俺の元に居て、ちゃんとした生活を送っていると
 親父さんに知ってもらいたい)』

岬の堂々とした態度に鼻を高くしながら
先に立って開けられたドアから
スウィートに入り込む。


荷物を降ろしたりして二人きりになると
岬がホッとした顔でラウンジルームの赤い
豪奢なソファに身を落とした。

『源三のオウチも凄いけど
 このホテルも凄いよね・・』

キョトンとしてあたりを見渡した。

『ホテルのお部屋にグランドピアノがあるよ』

『隣のスウィートはセカンドベットルームもあるけど
 コッチの方が眺めがいいからな・・・』

岬の足がラウンジからダイニングへ、
ドアを開けて広く明るいベットルームへ
その奥のバスルームへと進む。

ラウンジに駆け戻って
若林に告げた。

『凄いよ・・サウナが付いてる・・・』


ちょっとした子供らしいしぐさに
ついつい笑みがこぼれた。
岬の手を引いて自分の近くに寄せる。

『親父さんは夕方に訪れるはずだ、
 坪田を迎えにやるからな』

岬も若林の隣に腰を降ろした。

『ココに来たらきっと父さんもビックリしちゃうよ』

『だってずっと貧乏だったもん』

ここ数日振りに岬の笑顔が戻って来た。






テラスに置かれた遅い昼食をつつく。

緊張してきたのか
岬には食欲が無いらしい。


『大丈夫だよ、岬』

若林がその手を重ねた。


『・・ご馳走様』


岬がカタンと席を立って
白い繊細なテラスの手すりに手を置いた。

『岬・・・』




パリの風が岬の髪を悪戯になびかせ
パタパタと優しくスーツのスソを揺する。


『僕が来てること、父さんは知ってる?』

蒼いパラソルの下で
若林が口を拭ってから
ナフキンをテーブルに置く。

『いや・・・坪田が会いに行った時、
 息子さんの保護者が会いに来た、と言わせた』

『その時、父さんは何て言ってたの』

『随分驚いた様だが、特には何も言わずに
 ただ、頷いたらしい』

『そう・・・』




そのまま何も言わずに
若林の隣の椅子に戻る。


『源三・・・』


ちょっと放心した様な、
寂しげな表情。

『父さんは僕に・・・・・


 会いたがってると思う?』


岬が若林の袖を引く。

『本当は父さん、僕に会いたくないって
 ・・そう思ってたら・・・』


『勝手に来ちゃって
 迷惑と思われたら・・・僕・・』


見る間に岬の瞳が潤んだのを見て
若林がそっと手を重ねた。


岬に真実を告げてやろう。
物事は真実のみ秤に乗せる事が出来る。
偽りは、のちに真実を捻じ曲げて
いつかその頭角を現しても尚
偽りは偽りでしかない。


『親父さん、岬の事を随分探してたらしい』

ふうと大きく息を吐き出す。

『だから彼に行き当たるのも早かったんだ』


岬には真実のみを秤に乗せて
自分と親父さんを量って欲しかった。



『まず、俺が親父さんと話をしてもいいかな?』

岬が驚いて若林を見やる。

『もし親父さんが・・・


 いや・・・




 俺は隣の部屋に居るよ』


本当は岬と会わせたくなかった。


最後のカードを出すのはいつでも怖い。
其処には勝つか負けるか
2つに1つの世界しか存在しえ無い。


暫くして岬が若林に目を向けた。

『源三がまず会って、父さんに聞いて欲しいんだ』


いつの間にか、岬の目に精気が戻る。
あの娼窟で見た 真摯な瞳。


『父さんが僕に会いたいって言ったら
 僕、出て行くから・・・もし・・
 父さんが僕に会いたくないのなら




 もう、会わなくても、いい・・・』





若林が口を開きかけた時、
部屋の電話が鳴った。

人差し指を軽くあげて、
若林がテラスを離れる。


一言三言交わしてから
岬の待つテラスに戻る。



『親父さんが到着したよ』


















坪田がドアを開けて
閉まる音が部屋に響く。

ラウンジルームの奥に置かれた
黒い漆塗りのデスクに腰掛け、
若林はその男の到着を待った。


『お連れしました・・・』


資料の写真では何度か見たが
その男は岬からは想像も出来ないほど
逞しく精悍に見えた。


『どうぞ・・・』


若林を見つめながら
一歩一歩部屋に入り込む。

若林も席を立って
男に近づきながら手を差し出した。

『初めまして・・・若林です』

『岬 一郎です』

ガッシリした手を握ってから、
赤いサテン張りのソファを勧める。

坪田が素早くお茶を運び入れた。

お互い、目を離さない。
お互いがお互いを まるで
値踏みしているかのように。


『坪田、外してくれ・・・』


シン・・となった室内を
テラスからの風が通り抜ける。


『岬 太郎君の父親ですね』

男はただ頷いた。

『太郎君は今、私と一緒に暮らしてます』

男が初めて目線を逸らす。

『出会いは偶然でしたが、孤児との事だったので
 正式に手続きは済ませました・・ただ・・』

若林が言葉を切る。

『貴方は太郎君の父親だから知る権利が有る』



若林をひとしきり見つめてから
その男が初めて口を開いた。


『太郎が幸せなら私は十分です』

豪華な室内を眺め回す。

『貴方の事は知ってます・・・有名な方だから』

目線を若林に戻した。

『私と居るよりもずっと太郎は幸せでしょう』


初めて若林が動いた。
膝に置いた手を拳にする。


『それはどう言う意味ですか?
 私が若林と言う人間だから?


 違う・・・


 あなたは太郎君を分っていない!』


じゃあ何故?
何故岬を悲しませた?
若林の胸の怒りが大きく膨らむ。





『私には太郎に会う権利なんて無いんです。
 自分の勝手で、アレを悲しませてしまった』

少し遠い目で若林を寂しそうに見つめる。

『多分、太郎がお願いしたんでしょう。
 こんな遠い所にまで私を探しに来られるなんて
 太郎を大事にして下さっているから
 起こせる行動なんだと私は思います』

『あの頃、自分には分らなかった。
 絵を描く意味すらも見失って
 その当時出合ったスポンサーに連れられて
 フランスにやって来てしまった・・・』

男の目が伏せられる。

『自分のしている行為が愚かだと分っていながらも
 その時は吸収することに心を奪われていて
 のちに太郎を探した時にはすでに行方も知れず・・
 只の貧乏な画家が出来る精一杯はしたつもりです』

『大切なモノを失ってから初めて気が付きました。
 私は自らを窮地に追い込んで、一番大切なモノを
 この手から離してしまった・・・だから・・・
 私には太郎に会う権利は無いんですよ』




『二つ、質問があります』

若林が鋭く言い放つ。

『貴方は太郎君を失ってなお、自分の道を進んで来られた。
 太郎君を置いて行ったのは自分の為ですか?
 貴方が選んだ道だとして 己が精進する為に
 敢えて置いて行ったのですか?』

男が優しく笑った。

『そんなに格好の良いものでは無いかも知れない。
 けれどあの当時、太郎と居る自分はまさに
 世を捨てた人間だった・・・岬一郎という人間が
 太郎の父親としてでしか存在していない、
 そんな時期だったんです』


『では、新たに自身を掴んだ貴方にお伺いします』

若林がソファに身を沈めた。

『権利云々はもういい、太郎君に会いたいですか?』


隣に居る岬に聞こえるように
ワザと大きな声で問う。




男は暫く動かなかった。




岬と離れた数年が
男に躊躇いを生んでいた。


『太郎がワシに会いたいなんて思うわけが無い・・』




『太郎君がどうこうでは無いんです』

何時に無く若林の声も鋭くなる。

『貴方が会いたいと思うかどうかだ』





『アレがワシを許してくれるのならば・・・』

男の手がグッと握り締められる。



『父さん』

男の言葉を聞かずに
岬がラウンジに足を踏み入れた。

『太郎!!!』

思わず父親も立ち上がる。

『父さん!!!』


若林の目の前で
親子が抱き合った。




『大きくなったな、太郎・・・』

『父さん、父さん・・』


優しく岬の頭を撫でながら
父親の目に光るものが見える。

『太郎・・・済まなかった』



暫く泣きじゃくる岬を抱いて
男は頭を撫で続けた。



『僕に会いたいと思ってくれてて・・



 良かった・・・』

岬の一言に
その男の肩が震える。



母親が離れて行ってしまった時
自分は捨てられたんだとは思わなかった。
捨てられたのでは無くて
自分で選んだ道だったから。
父親が全てだった時間の中で
居なくなった瞬間に全ての時計が止まってしまった。

でも、母親が居なくなった時と同じ、
父親が自ら選んだ道だったなら
全てを受け入れようと決めていた。


岬の中に 答えが生まれた瞬間だった。





岬が涙に濡れた顔をあげる。

『父さん、元気だった?』

それでも尚、男は岬の頭を撫で続けた。




『ああ・・』



自分で涙を拭いてから
岬が優しく微笑んで
父親を見上げる。

それはまるで
聖堂に飾られた聖母の様に
優しく優しく地を照らす。


『良かった・・・』





男が動けずに居る若林を振り返る。


『一日・・一日でいいです
 今夜だけ、太郎と一緒に居ていいですか?』


『父さん・・・』

驚いて岬が声をあげる。


『コイツに見せてやりたいんです
 ワシが掴んだ 自分の答えを・・・』



『勿論です』

遂にこの時が来てしまった
誰も止める事なんて出来ない。
















岬は部屋に戻ってスーツを脱ぐと
トランクの底からくたびれた服を取り出す。

ちょっとはにかんで
若林に近寄る。


『源三・・行って来ます』

頭に手をポンと置いた。

『行っておいで・・・』










一人 テラスから
広いパリの景色を眺める。

遠くにエッフェル塔が輝き、
乾いた空気が街の活気を、
煌くネオンを、

若林の元に囁きかける。


『(結局岬は





 父親の出した答えを

 受け入れるのだろうか?)』


部屋を出る際、
岬は何も持たなかった。
自分が娼窟から着てきた
洋服だけを身に着けて
父親の元に行ってしまった。


『(それが岬の俺に対する答えかも・・)』




寂しげに若林が笑う。


『(こんなに寂しい夜は初めてだ)』



夜風に吹かれながら
自分の中に問いかける。

『(親が居なくて寂しいと泣いた夜よりも



 岬が居ない方が ずっと ずっと


 





 岬が 恋しい・・・)』



それぞれの思いを乗せて
遠くの街角で歌が流れる。





















翌日、まんじりともしない朝が来て
若林は仕事を済ませた。


日が高くなっても

パリの街が再び赤く染まっても

岬からは何の連絡も無い。






一人きりの食事を済ませてから
気晴らしにBARに下りた。

落ち着いた深い青い色調。
静かに揺らめくキャンドルが高い天井に
いくつも影を作り上げ、
鎮座するバカラの象にオレンジの帯を作る。

他の客に紛れて
そのざわめきを聞きながら
若林が諦めのため息を漏らした途端、
その姿が人目を引いた。



堂々と顔をあげて
若林に近づいてくる
そのスーツ姿に

一瞬、キャンドルも動きを潜める。


『部屋に居なかったから・・・』

脇に抱えた小さな包みを置いてから
そっと若林の隣に腰を降ろした。


『一人で居るのは苦手なの?』

ちょと小首を傾げて
若林に微笑みかける。

『ああ・・最近気が付いたんだけどな』




『父さんの家は相変わらず狭くて
 絵の具がいっぱい飛んでて・・・
 電話もなかったんだ』


置かれたカクテルを一口すすって
若林が問いかける。

『岬の答えは見つかった?』



ウン、と頷いてから
脇の小さな包みを開ける。


『これ・・・』


差し出されたのはノートくらいの油絵だった。
繊細かつ大胆なタッチで躍動感溢れる人物画。

美しい女性と、小さい頃の

『岬だ・・・』

若林の手からそっと絵を奪い返すと
その女性に優しく触れた。

『僕の、お母さんなんだって』

岬の瞳が嬉しそうに輝く。

『お母さんが居なくなってから
 父さんは人物画を決して描こうとしなかったのに



 ・・・僕の・・・お母さんなんだって・・・』

『本当はね、源三』

岬が絵から顔をあげて小さく呟く。


『ちょっぴり父さんを恨んだ時期もあったけど
 それより怖かったのは僕と離れて
 父さんが絵を止めちゃったんじゃないかって
 それが心配だったんだ・・・

 でも、ちゃんと、答えをくれたよ』


誇らしげに父親の絵を掲げる。


『やっぱり父さんは、僕の父さんだった』



真実しか天秤には乗せられない。



『岬』

呼ばれて嬉しそうに振り仰いだ。

『俺も、本当は・・・


 岬が親父さんに会ったら』




『僕が父さんを選ぶと思った?』



若林がソファの背にもたれる。


『半分正解』


『選んだらどうしようって 心配だった』

岬が笑って絵を差し出す。


『僕、源三と会ったからこそ
 答えを見つけたい、って思った』

『源三の側に居たいから
 父さんに会って聞きたくなったんだよ』

『父さんに会わせてくれて・・・ありがとう』


天秤の針が傾きだす。





『この絵は源三が持っていて』
 僕が源三と居たいから』

戸惑いながら
若林が手を伸ばす。

『だって大切なモノだろう』

岬がコクンと頷いた。

『父さんが僕を置いていった事、
 今では感謝してる。
 そうしなきゃ、
 僕は源三に出会え無かったもの』

優しく優しく微笑んだ。

『その絵は僕が持ってる中で
 一番大事なモノ・・・


 だから世界で一番大切な人に
 持っててもらいたいんだ』


絵を受け取りながら
若林の目が熱くかすんで行く。



『明日はディズニーランド行こうな』



ざわついたラウンジの中、
天秤の針は一つの方向を指していた。























『疲れたね・・・』

東京に帰り着いて
家へ向かうエレベーターを降りる。

『なんか、ホッとする』

岬が玄関先でくるりと振り向いた。

『本当に源三はいいの?』

真剣な眼差しで若林を見上げる。

『本当に僕と一緒に居てくれる?』




『居るよ、今も、これからも、
 ずっと、ずっと・・・

 岬がイヤになるまで居るよ』


『僕はずっと一緒に居たいよ』

岬が荷物を置いて腕を広げた。





『・・家に帰って来たらただいまって言う約束だよ』

若林がその身をギュッと抱きしめる。







『ただいま』



















夏が明けて

若林の恋人は
高校生になった。






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