接吻 -The kiss -


このエレベータは気に入りなんだ、とは目の前にいる大柄な男の言葉。
岬は大きな淡い色の瞳を瞬かせる。
「若林君からそんな言葉を聞くなんて意外。だって、手動式じゃない。
確かに見た目は綺麗だけどね。パリのアパルトマンにもあったけど、
歩くほうが早い気がするよ。おまけに誰かがきちんと閉めないと
自分のいるフロアまで来てくれないし。」
不便だよ、と愛らしい顔をわずかに顰めて岬は言い捨てた。
若林は気にした様子も見せず、ガチャガチャと音を立てて
その檻のような二重の扉を開け、岬を招き入れた。
「でもさ、雰囲気があるじゃないか。この照明と、周りの螺旋階段といい。」
と言って、さっとすばやい動きで岬の腰を抱きしめ、正面から頬に口付けた。
まるでワルツでも踊っているような動き。岬はひやりとする。
この旧式のエレベーターは外からも中が丸見えなのだ。何しろ箱の1辺を
単に二重の格子で遮っているだけなのだから。
にも関わらず、あまりにも若林の動きが自然で、彼から漂う香りが心地よくて、
岬はつぎの瞬間目を閉じて口元を綻ばせてさえしまった。
「こう言うことをしてもお姫様は怒る気にならないだろう?」
悪びれもせず、自分の魅力を知り尽くしたような男の笑顔。
確かにこの時間、ラウンジにもエレベーターにも他の客は見られない。
岬は本当にしょうがない、と呟いて小さく溜息をついた。
若林はエレベーターの扉を閉めた。
金色の薔薇の蔓が絡まっているような金属の格子が音をたてる。
黄金色の照明を受けて鈍い光を放つ金属製の蔓。
豪華なそれに囲まれた檻は、
葡萄色の絨毯の敷き詰められた螺旋階段の筒の中を、
ゆっくりと動き出した。

2人が束の間のオフを利用して訪れた欧州の古都。
その昔欧州に覇者として君臨したこともある帝国の都は、
悲しいかな今ではその名残を残すのみとなっている。
闘争的な雰囲気は失われ、街に漂う空気は気だるく、淋しく、そして甘い。
それでいてどこか懐かしい気持ちにさせられるのだ。

滞在したホテルは欧州によく見られる家族経営の温かみのあるところだった。
会員制で、団体客は受け付けない。そのため有名ではあるが、
大型のチェーンホテルとは異なり、幾分顔と名前の知られている2人にとっては
日本からの観光客に遭遇することもなく、
煩わしい思いをすることは避ける事が出来、
尚且つ、快適な短い休暇を過ごすことのできる存在である。
いわゆるプチホテルとは言え、その昔は貴族の邸宅だったものらしい。
部屋の天井は高く、丸みを帯びており、
手入れの行き届いたクリスタルのシャンデリアが下がっている。
照明は暖かなオレンジに近い黄金色で、太陽の存在を感じさせない、
その街の厳しい冬を忘れさせてくれる。
配置されている家具も値の張りそうなアンティークばかり。
ソファは時代物の木製にピロードの布が張られていた。
部屋にはバーのように、重厚なマホガニーの、
磨かれた鏡がはめ込まれたキャビネットの中に、数多くの種類のシェリー、
ワイン、スコッチやシャンパンが並べれレ手いた。
昔の貴族の屋敷に招かれて、歓待を受けているような気分にさせてくれる、
優しい秘めやかな時の流れるホテルだった。

舞台がはねた後、余韻に浸りながら、国立歌劇場から歩いて5分という
超高級住宅街の一角に佇むその瀟洒な隠れ家に、
2人は戻ってきたと言うわけだった。
そしてそのホテルに相応しい、旧式で手動のエレベータに2人は乗りこんで
部屋へ向かうところだったのだ。

黙り込んでしまった岬の顔を、怪訝そうに若林が覗き込んできた。
「どうした。怒ったのか?それとも気分でも悪いのか?」
そうじゃない、岬は静かに微笑んだ。
「素敵だったな、と思って。劇場も舞台も。そしてこの街も。」
舞台に酔い、幕間の酒に酔い,そしてこの流れる刻に酔っている。
隣には大切な人がいて。
この華やかな箱に恋人と二人きりでいるような。
まるで異なる時代に紛れ込んでしまったような、錯覚。
先刻充分に堪能した舞台のの余韻にまだ自分は浸っているのだろうか。
たまには良いのかも知れない。酔いのせいにしてしまうのも。
素直に気持を現してしまうのも。
ついさっき鼻を掠めた若林の匂いをもう一度、もっとそばで感じたい。
岬は酔いのせいにして、腕を若林の広い肩に伸ばして、彼を引き寄せた。
一瞬、驚いたように息を呑む気配が感じられた。
だが、やがて彼も岬の腰に腕を伸ばして軽く抱きしめ返してきた。
もっと。もっと近くに来てよ。言葉にはしない代わりに、
岬はそう態度で示していた。
背伸びをして、自分の白い頬を、若林のそれに押しつける。
微熱を含んだ唇を、彼の頬に、首筋に触れた。
緩やかに、まとわりつくような、流れるような仕種。
腕は彼の肩に巻きつけたままだ。そしてゆっくりと瞳を閉じる。
二人だけに分かる何かを気取ったのか、
若林も同じような穏やかさで岬の首筋に、
頬に、瞼に、額に口付ける。唇にはたっぷり時間をかけて。
彼の腕は岬の腰を抱いたままだ。
恋人達の唇がお互いの顔の上でゆっくりと踊り始める。
お互いの息がかかることが嬉しい、
そう岬は思った。自分の頬に触れる、徐々に、
けれども確かに熱を帯びてきた唇が、
相手もそう思っているのだと教えてくれるような気がした。
どちらからとも無く、聞こえてくる忍び笑い。
この上なく、静かで、官能的な。胸の高鳴りを隠すかのように。

春の雨のような接吻を受けながら、
岬はこの休暇で味わったことを思い出す。
華やかな色彩。衣ずれの音。様々な香水の匂い。シェリーの香。
天井の彫刻、壁の色。そして重たげなカーテン。
時間が逆戻りしたような、この街とこのホテル。
酔わされている。僅かに残る酒に。ほの暗い金色の照明に。
そしてどこか隠微な美しいこの檻に。
重たげな睫毛を押し上げて、瞳を廻らすと、
目に映るのは眩暈のするような螺旋階段。
赤葡萄色の絨毯。優美で芸術的な曲線を描く、檻のようなエレベーター。
そして抱きしめて接吻を優しく降らせてくる恋人。これらすべてに。
自分は気持良く酔っている。
岬は思った。きっと昼間見た金色の絵に描かれているような、
恍惚とした表情を自分は浮かべているに違いない。
絵の具を溶かしたような、とろりとした艶の有る黄金を、
岬は自分の背景に感じていた。

酩酊とも浮遊ともつかない感覚の中で抱擁しあう恋人たちを乗せ、
黄金の光の雨の中、緩やかにエレベーターは上昇を続けていた。


■ 梨衣様★ ありがとう御座いました〜!!! ■

ご本人様談:クリムトの『接吻』の絵をみて思いついたんです・・・
ああ、梨衣様・・・いつお話をお伺いしてもなんて・・・なんて
ブルジョワな方なんでしょう!!! 感動です〜♪♪♪
あの不朽の名作からこんなステキな源岬を頂いてしまいました!!!!!
この、一瞬を切り抜いたようなお話、大好きです〜★
本当に本当にありがとう御座いました〜!!!!!!!!!!



































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