『みさきちゃん!』
朝一番の校門で僕を呼ぶ声がした。
くるり!と振り返る。
『浅野先輩、チャン付けはやめて下さい!』

身長189cmの長身で僕を笑顔で見下ろす。
『岬ちゃん、おはよう』
僕の頭を捕らえてグリグリいじる。
『もお、先輩!怒るよ!!!』
『今日も頑張れよ、サッカー小僧』
浅野先輩はわはは!と笑いながら立ち去って行く。
いつも、こんな感じ。

『岬、浅野先輩怖くないの?』
こわごわ井沢君が僕に聞く。
『うーん・・・別に?変かなぁ・・・』
『あの人バスケはすっげえうまいけど、
 相当の不良じゃん・・・』

一年前、僕はフランスから戻って
日本の高校に入学した。
井沢君や来生君、石崎君や滝君とおんなじ。
翼君は旅立ってしまって、
変わりに僕が日本に残った。
入学式の日、珍しく父さんが帰ってきて
一緒に式に行くと言い出す。
僕はあたふた用意をしてあげて、
すっかり遅れ気味だったんだ。
『父さん、僕先に行ってるから。
 道、分かるよね・・・』
走って走ってなんとか間に合いそう・・・
そうだ、近道・・・
毎日このあたりを走ってたから
高校に続く近道を編み出していた。
ちょっと高いフェンスを越えて、
高校の裏の林を突っ走る。
(なんとか余裕で間にあいそう)
そんな安堵感が沸いた瞬間、
僕の足が何かに引っかかって大きく前にのめる。
『あ・・・』
その瞬間、大きな手が僕を捕まえた。
倒れこむ瞬間、誰かに抱きとめられる。
『おい』
一瞬の出来事に胸が大きく高鳴って
見知らぬ人の胸に体を預けてた。
『大丈夫かよ・・・』
こわごわ顔を上げると、短髪を茶色に染めた
整った顔立ちが目に入る。
『あ・・・あの、ごめんなさい』
状況が飲み込めなくて口をついて謝罪する。
『僕・・良く見てなくて・・・』
その人がクスリと笑った。
『新入生か?』
良く見れば同じガクラン着てる。
『そうです』
良く見ればその人の左手に、くゆるタバコ。
タバコ???
状況が飲み込めた。
つまりこの人は裏手でタバコを吸ってて
大きく投げ出した足に僕がつまづいたって事。
『タバコなんてダメです!』
勢いで僕がタバコを奪い取る。
立ち上がる拍子に足で踏み消した。
『まだ高校生なのにタバコなんて、ダメです!』
その人は急に笑い出して僕を見つめる。
『なんにもおかしくないですよ』
わはは、と笑って僕に言う。
『お前、入学式はじまるぞ』
大変!!!
『もう、吸っちゃだめですよ!!!』
僕の足が大急ぎで会場に向かう。

なんとか間に合って、帰り際会場で父さんを探す。
『おめでとう、太郎』
『ありがとう、父さん・・・
 僕ね、これから皆とご飯食べて来てもいい?』
『ワシは帰るぞ』
父さんの大きな背中を見送って、
皆の所に急いだ。
『お好み行こう!!!』
石崎君が楽しそうに僕に腕を回す。
井沢君や来生君が反対する。
『えー!焼肉!!!』
『ラーメン食べたい!!』
滝君が来るまで、校門の所でわいわい待つ。

『よ!新入生』
振り返るとさっきのタバコの人が
笑顔で後ろに立ってた。
『あ・・・』
立ってると背の高さに驚く。
僕だってそんなに低いほうではないのに
頭二つ分は違う。
若林君みたい・・・

『言いつけ通り、アレからはちゃんとしてるぜ』
ああ、タバコ・・・
『もう、ダメですよ!』
『はいはい・・・』
楽しそうに笑う人だな。
『何よ、浅野、もう新入生イビッてんの?』
もう一人が近づいてきてその人に話しかける。
『またな』
ゆらりとその人が離れて行った。

『アレ、浅野先輩ジャン』
『そうそう、すっげえ強いんだって』
『強いって?』
僕が井沢君に問う。
『ああ、岬は来たばっかだから知らないけど
 あの人、中学から有名な不良なんだよ。
 でも、バスケがすっごく上手くて、
 うちの高校、何度も優勝してるんだ』
『ふうん・・・』
『なんで岬の事知ってるの?』
みんなの不思議そうな顔。
『ちょっとね、さっき話しただけ』
『何度も停学くらっててさ、ケンカばっか』
そんな風には見えなかったけど・・・
大きな背中を目が追う。
あんなに楽しそうに笑うのに・・・

学校が始まって、また勉学とサッカーに
明け暮れる毎日が始まった。
今日もいつものごとく、着替えてから
グラウンドに向かう。
春の日差しが夏の気配を運んでくる。
体育館の横を過ぎるとき、開け放たれた扉から
その姿が見えた。
『浅野、シュート!!!』
誰かが叫ぶと共にその長身が宙に舞う。
コートの真ん中で、彼の長い手がボールを離した。
大きく弧を描いて、ゆっくりゆっくり
ボールがネットに吸い込まれる。
緊張の一瞬。
安堵の完成。

すごいや!
僕の胸にも同じ感動が湧きあがる。
あんなに遠くから・・・
凄い。
僕はしばらく動けなくて、
彼の行動を目で追ってた。
また、飛ぶ。
リングに届くダンクシュート。

バスケの事は分からないけど
その動きに釘付けだった。

『岬、遅れるよ』
滝君の声で我に帰って、
グラウンドに向かった。

今日は僕の勢いが止まらない。
だって、凄いモノ見ちゃったんだもん。
あんなに迫力有る躍動感。
なんか、胸を打たれた・・・

夕暮れ時、散らばったボールを拾いに歩く。
『新入生!』
浅野先輩がネットの向こうから声を掛ける。
『あ、先輩・・・』
『お前、凄いじゃん、感心したぜ』
『そうですか?』
『お前なら世界、狙えるって!』
『先輩だって・・・』
僕がそう言った途端に、浅野先輩の笑顔が止まる。
『さっき、ちょっと練習見ちゃいました。
 僕、サッカー以外のスポーツで、
 感動したのは初めて』
先輩がネットからこっちへ来て、
僕の頭にその大きな手を置いた。
『新入生、お前、名前は?』
『岬ですけど・・・』
『頑張れよ、岬ちゃん』
整った顔にまた笑顔が広がる。
『俺、応援してっからさ!』
『っちゃ・・・っちゃんづけは辞めて下さい!』
あはは〜と笑って大きく手を振りながら
浅野先輩が立ち去って行く。
『またな、岬ちゃん』
『もー!!!』

皆は心配するけど、その日から僕は
何かにつけ浅野先輩と話すようになった。
時々学校に来なかったり、僕が部活が忙しくて
なかなか機会は少なかったけど。

『岬がバスケ好きなんて知らなかった』
『違うよ、仲良しの人がバスケしててそれで・・・』
若林君の言葉が止まる。
『違うよ、仲のいい先輩がいて・・・』
若林君との電話の途中、つい言っちゃったんだ。
最近、バスケに興味持ったって事。
『時々しか話さないんだけど・・・』
『俺、なんかすっげえ心配・・・』
『本当、違うから!』
どう言っていいか分かんないけど、
若林君と浅野先輩は違うんだよ。
『心配だから俺、夏に日本帰ろう』
僕の胸がドギマギする。
『本当?』
『だって岬が浮気したらやだから』
『しないってば!!』
最後は仲直りして電話を切った。

違うんだよ、若林君。
なんか、なんか放って置けないんだ。
不良不良ってみんなは言うけど、
僕に見せるのは唯の楽しげな笑顔だから。
浅野先輩が何か迷ってるのが分かるから。
友達と一緒。
ちょっと放って置けないんだ。

夏休みのちょっと前、また停学になったと聞いた。
『凄かったらしいぜ〜』
石崎君が大ニュースと僕に告げる。
『相手の高校生、10人はいたのに
 浅野先輩、全員ぶっ飛ばしちゃったんだって』
後4日で夏休み。
部活の帰り、一人で帰り道を急いだ。
今日は父さんが居ないから、コンビニで
何か買ってズルしよう・・・
そんな事考えながら足が家へと向かう。
最後の角を曲がったとき、その人影に気が付く。
『岬ちゃん』
殴られてボコボコの顔に無理やりの笑顔。
『浅野先輩・・・』
『ちょっとだけ、いいかな?』
停学中なのに!
『外に出て大丈夫なんですか?』
『構わないよ』

僕達は近くの公園に行った。
小さな、住宅街の一角。
電灯のしたの、ベンチに座る。

『停学くらって、夏休み突入だよ』
『痛そう・・・』
浅野先輩が自分の顔に手をやる。
『オットコマエ、だろ?』
『ぜんっぜん!!!』
浅野先輩が僕の目をじっと見つめる。
『ずっと前にさ、岬ちゃん、俺に言ったじゃん』
『何をですか?』
きゅ、急に言われても、何の事か分からない。
『俺が世界に通用するって・・・』
僕がキョトンとしてると、先輩が自分の頭を掻いた。
『やっぱ忘れてるよな〜』
『ああ、バスケの事ですね?覚えてますよ』
先輩の大きな体が大儀そうに前にのめる。
『僕、本当にあの時、バスケで感動したんです。
 サッカーしか知らなかったから。でも
 その後もバスケが気になってテレビみたり
 これでも色々勉強したんですよ!』
浅野先輩がにっこり微笑む。
『さすが岬ちゃん』
『でも、浅野先輩の動きが忘れられないんです』

そう、あの時、場所は唯の体育館だったけど
あんなに白熱してざわめく会場。
一つのボールを奪い合う熱気。
そのしなやかに動く手足。
サッカーと同じ。
なんか凄く親しみが湧いて、好きになった。
その中でも身長はもちろん、
誰よりも輝いてプレーしてた先輩。

『サッカーと似てるな〜って思った』
『岬ちゃんだって周りとは格段に違うよな』
『そうかな〜・・・』
『岬ちゃんの夢って何?』
若林君の顔が浮かんだ。
僕、ずっと若林君と一緒に居て
皆と一緒に世界を超えたい。

『サッカーで世界を超えたい』
先輩がにっこり笑った。
『出来るよ』
『そんな軽々しく!』
『出来るよ、岬ちゃんなら。
 だって信じてるってカオしてる』
僕の胸が熱くなって聞いた。
『先輩は?』
また頭をボリボリ掻く。
『笑うなよ・・・』
『僕のは聞いといて!笑いませんよ』
僕の顔をまぶしそうに見上げる。
『俺、NBAでプレーしたいんだ』
途端に僕の胸が高鳴った。
『出来るよ、先輩なら絶対出来るって!!』
『ばーか、大変なんだぞ〜』
そういいつつ、先輩の顔も笑ってる。
『凄いや!でも、先輩なら出来るよ!』

プレーしてた時の先輩の精悍なカオ。
誰にも負けないスピードでゴールを目指す。
世界って大きくて色んな人がいて、
本当に大きな壁がいくつもあるけど
でも、きっと超えることが出来るはず。
自分が信じていれば、少しでも夢に近づけるから。

『僕、応援してますからね!』
笑いかける僕の頭にその大きな手が伸びた。
『岬ちゃんもな』
スックと立ち上がると大きく伸びをした。
『また明日学校だろ、ごめんな』
『先輩?』
『またな』
先輩の見てる夢を僕に残して
そのまま立ち去って行った。


夏休み、練習の途中で若林君が帰国した。
『岬』
その逞しい腕に抱かれて、僕は安心する。
誰よりも傍に居て欲しくて
誰よりも信頼してるから。


『また明日から学校、やだな〜』
石崎君の小言を聞き流してふと考える。
そういえば夏休みの間、一度も先輩に会ってないや。
元気にしてるかな?

学校が始まって2日目、
帰り際の校門で、懐かしい声が呼び止めた。
『岬ちゃん!』
『先輩!』
前に別れたときはボコボコの顔も
今ではすっかり綺麗になって、以前の
整った顔立ちに戻ってた。
『お土産やるよ』
『お土産・・・?』
渡された袋を覗き込む。
『大したもんはねえけど』
チョコとビーフジャーキー。
NBAと書かれたちいさな袋。
『アメリカ行ってたんですね!!』
そのまま二人で歩き出す。
『俺の親戚がモンタナ州に住んでて、
 ちょっと訪ねたんだよ。すっげ良かった』
うん、うん、と僕がうなづく。
『でも俺、英語なんかロクに出来ないし
 参った参った・・・』
『そんなの、住んでたらアッと言うまに話せますよ』
『そっかなぁ〜』
先輩の久しぶりの笑顔。
『俺さ、アメリカの大学行こうと思って』
『ホントに?』
なんかワクワクする。
『凄い!』
先輩が僕を見下ろした。
『親戚んちの近くの大学、小さいけど
 アメフトとバスケが盛んで、日本人も
 紹介が有れば受け入れてくれるって』
なんだか心細そうな顔。
『先輩の夢に一歩、前進ですね』
僕の言葉に先輩の顔が輝く。
『おう!だからベンキョとか頑張ねーと・・』
『僕の言葉、覚えてますか?』
『何?』
先輩の事なのに、僕がワクワクしてる。
夢に向かって走り出してるみんなと同じ。
キラキラ輝いて、僕を刺激する。
『応援してるって・・・』
テレくさそうな顔をして、
また僕の頭に手を置いた。
『俺、卒業までバスケも真面目に
 頑張ってみるわ・・・』
グリグリ僕の頭をいじる。
『それから、タバコもケンカも、だめですよ!!』


それからの先輩は人が変わったように
真面目に登校していたし、
部活も真面目に出てたし、
朝のランニング途中、何度か見かけた。
勉強してるかは知らなかったけど。

夏が過ぎて秋が来て、
僕の大会の時は応援にまで来てくれた。
負けちゃったけど、その後、頑張れって
わざわざ言いに来てくれた。

冬が来て春が来て
三年生は自由登校になる。
たまに顔を覗かせては、
僕をからかいに来た。

ちゃんと手続きを進めてること、
英会話の学校に行ってる事。
僕に報告してくれる。

『明日、卒業式ですね』
帰り道、久々に一緒に帰った。
卒業式まであと1日。
僕らは卒業式の練習やらで忙しい。
『なあ、岬ちゃん、用事ある?』
『別に。父さんも今日帰らないから』
『なあ、なら俺の買い物つきあって』
『いいですよ』
先輩のアメリカ生活を茶化しながら
二人で大きなスポーツ店に行く。
『何買うんですか?』
先輩がまっすぐ向かったのは靴売り場。
『俺に似合いそうなの、一緒に選んでな。
 俺、それ履いてアメリカで頑張るわ』
散々悩んで、某有名メーカーの最新作、
色はど派手な黄色に決定した。
『岬ちゃん、ありがとな』
『頑張って下さいね』
僕達はファーストフードでまた
とりとめなく話をしながら夕食を済ました。

繁華街から住宅地へ抜けようと
大きな公園を横切る。

途中、辺りの気配が変わった。

『浅野じゃんか・・』
見るからにガラの悪い高校生が数人
僕達の行く手を阻む。
『あ〜俺、もうケンカとか辞めたから』
浅野先輩の顔つきが見る見る厳しくなる。
『てめえ、今までさんざんやってくれたよな』
『卒業参りとはご苦労なこって・・』
先輩が言い終わらない内に数人僕らに詰め寄る。
『先輩・・・』
『岬ちゃん、コレ持ってアノ公園に走れ』
さっき買った紙袋を僕に放ると
先輩は大きく身構えて殴りかかるその手をよけた。
『岬ちゃん、早く行け!』
僕が走り始めると、数人僕を追ってきたけど
普段から走ってる僕にかなうハズも無く
途中から足音が途絶えた。

アノ公園?
ああ、昔に先輩と話した所かな・・・
荒い息でたどり着くと、
前と同じベンチに腰を降ろして
ギュッと紙袋を抱きしめた。

あんな先輩、初めて見た。
でも、怖くは・・・無かった・・・

『遅いよ』
ちょっと心配になって立ち上がりかけた時、
その長身が目に入った。
手には二つの缶コーヒー持って。
『先輩!』
安堵でつい、傍に駆け寄る。
『お待たせ、岬ちゃん』
『大丈夫ですか・・・』
なんか先輩の顔見たら・・・
安心して涙がこぼれた。
『オイオイ、泣くなよぉ』
『だって遅いから心配して・・』
『道忘れてちょっと迷ってて遅れたんだよ』
照れ臭そうに笑って、僕をベンチに座らせる。
『俺、ケンカばっかしてたんだ』
僕にコーヒー渡しながらポツっと呟く。
『小さい頃から図体ばっかでかくて
 どこに行っても怖がられてたし・・・
 親も離婚してて、俺、オヤジと一緒だけど
 仕事とか言ってオンナの所から帰って来ねえし
 自棄になって暴れてたんだ』
先輩の寂しそうな横顔。
『誰も何にも言わねえし・・・。
 先生すら、俺が怖かったんじゃねえかな』
大きく息をついてコーヒーを飲んだ。
『でも、でもバスケだけは好きでやってたけど
 俺が真面目にやるのを、周りの奴とかは
 放っておいてくれないんだ。今日みたいに・・・
 俺、バカだから売られたケンカすぐ買うし』
先輩が僕の方を向く。
『実際、学校も辞めようと思ってたんだ。
 覚えてるか?お前の入学式』
コクン、と僕がうなづく。
『あの朝、お前が急に飛び込んできて
 俺に説教しただろ?』
『あ、タバコの事・・・』
『俺にあんなん言う奴なんて久々で・・・』
いつもの癖で、照れ臭そうに頭を掻く。
『ちゃんと俺の事見て、俺に説教したろ?』
今更ながらに恥ずかしくなって来た。
『ごめんなさい』
『違うよ、バカ!俺、すっげえ嬉しかったんだ。
 でも、俺の噂聞いて、お前引くと思ってた
 ・・・なのに変わらず接してくれて、
 こいつ、変わってんなーって思ってた』
『だって・・・』
だって、先輩の笑顔が楽しそうだったから。
みんなに見せる怖い顔の下に、
優しい一面があるって、僕は知っちゃったから。
『俺、生まれて初めて学校に行きたいって思った。
 お前に会えるじゃん。そこで岬ちゃんの一生懸命
 サッカーしてる姿見て、感動しちゃったんだよ』
また、まぶしそうに僕に笑いかける。
『俺が世界に通用するかもって・・・
 今まで誰もそんな事、言ってくれた事なかった。
 なのに会って間もない岬ちゃんから言われて
 俺の中で何かが動かされて、
 無性にバスケがしたくなった。タバコも、
 ケンカも、今までの事がアホらしく思えた』
僕の手に握られたコーヒーが手で温められて行く。
『そしたら色んな道が見えてきて、
 アメリカ行ったり、ベンキョしたり、
 俺の周りがどんどん変わってったんだ』
先輩の視線が遠くを見る。
『俺にも存在価値が有るのかなって、
 岬ちゃんのお陰で思えるようになった』
僕の手が伸びて、先輩の立ち上げた短髪に触れる。
いつも先輩がしてるのに。
今日は反対。
『先輩の夢を聞いた時、ワクワクした』
存在価値が無いなんて、
そんなの自分で決めちゃダメだよ。
もっと自分の可能性を信じて。
『先輩がバスケしてる時、すっごくいい顔してる。
 自分を信じてあげなくちゃダメですよ』
先輩の大きな手が、僕の手を頭から降ろした。
『岬ちゃん、ありがとうな・・・』
そのまま、僕の手を引っ張って
次の瞬間、僕は先輩の腕の中に居た。
『ま、待って・・』
『ちょっとだけ、このままで居させて・・・』
先輩の大きな手がちょっと震えてる。
もしかして、泣いてる?
『俺、人を抱きしめたいって思ったの、初めてなんだ』
僕は唯、じっとしてた。
『母親にすら、そんなんされた事ないのにな』
震える声。
僕の胸にその言葉が響く。
先輩も、寂しかったんだよね。
誰にも相手にされないなんて、
誰の人生にも係わる事の無い人生なんて
そんなの、辛過ぎる。
『俺、学校残って良かった』
『岬ちゃんに会えて良かった』
先輩の手が緩む。
『俺、ぜってーNBA行くから』
『うん・・』
『だから岬ちゃんも応援しててくれな』
『うん・・』
『俺も、岬ちゃん、応援してるから』
先輩の心臓の音が聞こえてくる。
『うん・・・』
しばらくして、先輩がそっと僕を離した。
僕の目の前で、制服のボタンを引きちぎる。
『あ・・・』
そのまま僕の手に握らせた。
『岬ちゃん、俺、頑張ってNBA入るから。
 そん時までコレ、持ってて・・・』
間近で先輩が僕を見下ろす。
『俺、また岬ちゃんに会いに来るから』
『うん・・・』
そのまま、先輩が僕のおでこに口付けた。
『岬ちゃん、またな・・・』
立ち上がって、紙袋を手にする。
驚いて動けない僕の頭をグリグリいじる。
『岬ちゃん、ありがと・・・』
その、大きな手が、   離れた。

『あ・・・明日、卒業式で!!』
笑いながら手を振って、先輩は公園を出て行った。
その大きな背中。
大きな手。
楽しそうな笑顔。
明日、先輩、来るかな・・・?


『岬!浅野先輩、いないじゃん・・・』
井沢君が僕を小突く。
やっぱり・・・
だから昨日、僕にお別れ、言ったんだ。

卒業式の後、サッカー部でのお別れ会。
先輩との挨拶が進む。
『そうだ、岬、お前知ってるか?
 浅野、今日アメリカ行ったぜ。
 お前ら、不思議に仲、良かったもんな〜』
『聞きました』
『浅野、お前と居て随分変わったよな』
『そうそう、前は怖いだけの奴かと思ったのにな』
『バスケもうまかったし、案外イイヤツだった』
みんなが浅野先輩の事を口にする。

先輩、聞こえる?
先輩、一人じゃなかったんだよ。
先輩から心を開けば、
こんなに沢山の人がいたんだよ。
みんな、応援してるって。

『サッカー部の先輩ってもてるな!』
石崎君がワクワクした声で僕に言う。
『なんでそんなの判るの?』
『だってみんな制服のボタン無いじゃん』
『ボタンが無いとモテるの?』
石崎君がキョトンと僕を見る。
『あ、そっか、岬、日本にいなかたもんな』
『好きな人にボタンあげるんだよ
 本命は第二ボタン。でも、今じゃ
 ファンの子が奪う・・・って感じだよね』
井沢君が説明してくれた。
制服の・・・第二ボタン・・・
『あ!』
『なんだよ、岬、どおしたん?』

昨日、先輩がくれたのって・・・
途端に恥ずかしくなった。
そうと知ってたら、受け取らなかった・・・かも。


春休み、今度は僕がドイツに行った。
『岬、お前のバスケ熱は冷めた?』
『ううん、先輩がその内、NBA入るもん』
僕は素直に浅野先輩の話をした。
若林君が気にしてるの、知ってたから。
浅野先輩が頑張ってるから。

ボタンの話だけ、出来なかったけど・・
僕が誰を一番にしてるかなんて
言わなくても判ってくれると思うから。

『岬のさ、その一途な所って胸を打つよな』
若林君の腕の中で、僕は幸せにまどろんでた。
『俺も、お前がホントって言った事は
 本当になる気がするもん。なんかさ、
 お前が一生懸命だと、俺も頑張ろうって
 そんな気にさせるんだよな』
優しく僕の髪に口付ける。
『違うよ。僕、若林君やみんながいてくれるから
 だから頑張れるんだよ』
僕を必要としてくれるから。
だからその人の為に頑張ろうって・・・
父さんや、みんなや、
もちろん若林君がいるから。
僕の存在価値がそこにあるから。

『お前の先輩もNBAいけるといいな』
浅野先輩は絶対行く。
そんな気がする。

その時、黄色のシューズはいてるかな?

『僕の卒業の時、若林君に第二ボタンあげるね』
『第二ボタン?』
『日本の風習で、本命の人にあげるんだって』
『お。可愛い事言うじゃん!』

その日、僕は浅野先輩の夢を見た。
テレビで見るNBAの試合そのままに。
会場は異様な熱気に包まれて
格段のスピードでボールが手から手に渡る。
アメリカでは先輩の身長もそんなに目立たない。
黄色のユニフォーム着て、あのシューズ履いて、
みんなの中でしなやかに動く。

チームメイトが先輩にパスを出した。
誰かが先輩の名前を呼ぶ。
『ASANO!』
先輩の体が大きく跳んで、
その長い腕からボールが離れた。
大きく弧を描いて、ゆっくりゆっくり
ボールがネットに吸い込まれる。

   シュート!!!

先輩の顔に、あの笑顔が広がった。
SHOOT
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